200年以上続く「鎚起銅器」の技術を活かし、 世界から評価されるブランドに育てた7代目の改革。

全国有数の「ものづくりのまち」として知られている新潟県燕市。江戸時代から金属加工業が発展し、伝統的な技術が今も受け継がれています。玉川堂の創業は1816年。一枚の銅板を鎚で打ち起こしながら器を作り上げる鎚起銅器(ついきどうき)の老舗です。2003年よりフランクフルトなど国際見本市への出展を足掛かりに、海外展開を開始、LVMHグループのシャンパーニュ メゾン「KRUG(クリュッグ)」とコラボしたワインクーラーは世界から大きな注目を集めました。現在、売上の90%が直営店、その50%は訪日外国人(インバウンド)による購入と、国内外の多くのお客様を魅了しています。伝統技術を守るために改革を続ける玉川堂の取り組みは、既成概念にとらわれず、自分たちの信じた道を進む覚悟が貫かれていました。
赤字転落した老舗の再生を図る
7代目の流通改革。
玉川堂の創業は1816年。200年以上にわたり、銅板をたたいて成形する「鎚起銅器(ついきどうき)」の技術を継承してきました。一枚の銅板から継ぎ目なく「やかん」をつくる高度な技術、世界でも珍しい銅に多様な着色を施す独自の技術は、国・新潟県の無形文化財に指定されています。ブランドメッセージは、「打つ。時を打つ」。工場には職人が銅を打つ音が響き、まるで一つの曲を奏でているようです。玉川堂の鎚起銅器のいちばんの魅力は「経年変化」。打つことで強くなった製品は耐久性が高く、お客様が生活のなかで使い込むことで色が変化していきます。使い方によって変化が異なり、唯一無二のものになる。玉川堂が考える「美」とは、職人が銅板を「打つ」ことで作り出され、お客様のところで時間をかけて育てられるものなのです。
現在、新潟・燕市、東京・銀座、西麻布に直営店を持ち、売上50%をインバウントによる購入が占める玉川堂ですが、7代目玉川 基行さんが社長に就任した1995年当時は、主力の企業用贈答品の需要が激減し経営は赤字に転落、従業員を解雇せざるを得ない状態でした。
「経営を引き継いだ当時は、200年以上続く鎚起銅器の素晴らしい技術を守りたいという一心でした。そのためには今までの経営や流通を根本から変える必要がありました」玉川さんがまず着手したのは従来の商社を通じた販売ではなく、自ら直接、お客様に商品の良さを伝え販売する直接販売への転換でした。
「贈答品に代わる製品をつくらなければならないのに商社を通じての販売ではお客様の声が聞こえず、何を作ればいいのかわからない。それがいちばんの課題でした。従来の商習慣を変えるには相当な覚悟が必要でしたが、6代目である父が「お前に全部任せる」と信じてくれたからこそ大胆な改革ができたのです」と玉川さん。自ら全国の百貨店へ飛び込みで営業。催事場で実演販売し顧客との会話のなかでニーズをくみとり、現在も人気商品の「ぐい呑み」や「ビールカップ」などが生まれました。売上が伸びるにつれて、最初は実演販売に懐疑的だった職人たちも積極的に参加。作り手が制作工程を見せながら価値を語り、お客様の声を反映した商品を作りだす玉川堂の直接販売を確立していきました。
百貨店販売から直営化へ。
マーケットインからプロダクトアウトへ。
国内外の市場に対応し、進化を続ける。
全国の百貨店へ販路を開拓しながら、玉川さんの視線は海外に向けられていました。海外販路開拓の足掛かりとして2003年ににいがた産業創造機構(NICO)が企画した「百年物語(*1)」プロジェクトへ参画し、パリやフランクフルトの見本市へ出展します。
「当時は、うちの製品はヨーロッパ市場にマッチすると考えていましたので、欧米を意識してワインクーラー、グラス、カトラリーなどを製作し、国際見本市に出品。そこから拡販していくつもりでした」。しかしヨーロッパでは銅器は日常品で低価格のものが多く、玉川堂のような工芸品的要素が高く、高価格の製品はなかなか受け入れられませんでした。一方で、思いがけず中華圏からの依頼が次第に増えたのです。
「中華圏には茶を楽しむ文化があり、銅器を実用品ではなく嗜好品として捉えてくれるお客様がいました。そこで私たちはターゲットを国別ではなく、お茶、コーヒー、お酒、花という嗜好対象別に捉え直し、職人が自らお客様に負けない知識を身に付け、自分が考える最高の製品をつくり、お客様へ提案することが玉川堂のブランドを高めることになると考えました」。
国際見本市への参加により海外との接点が増えたことで、海外企業とのコラボ―レーションを実。特に2011年LVMHグループのシャンパーニュ メゾン「KRUG(クリュッグ)」とコラボレーションし作った機能性と美しさを備えたワインクーラーは、仏日の高級レストランやバーで使用されています。この協働を通じ、お互いのモノづくりの現場を見学し深く感動した玉川さんは、さらなる改革に取り組みます。
「クリュッグ社のブドウ畑や醸造所を見て、私は感動し涙しましたが、クリュッグの6代目も私たちの工場を見学して涙してくださいました。醸造所に世界中から多くのお客様が見学にくることを知り、玉川堂も直営店を持ち、世界中のお客様に来店していただきたい。五感を使って製品の価値を実感してもらえるブランドにしたいと考えるようになりました」。
玉川堂は百貨店販売から、工場が併設されている燕市の本店のほか2014年に青山、2017年に銀座に直営店をオープン。「百貨店の包装紙に包まれている間は、お客様は百貨店の信頼で製品を買われます。その信頼を自分たちで作っていきたいのです」。流通経路の短縮がブランディングの重要な要素。もっと多くのお客様に直営店に来ていただくため、玉川さんの改革は続きます。
*1新潟百年物語…にいがた産業創造機構(NICO)が企画・運営する技術継承や存続のために100年続く地域発の国際ブランドを構築するプロジェクト
燕三条を世界中からお客様が訪れる
「国際産業観光都市」にするために。
クリュッグを訪問し、世界中から観光客が訪れ醸造所を見学し、オーベルジュで滞在を楽しむといったシャンパンづくりが観光資源となっていることを知った玉川さんには、新たな想いが生まれました。それは「燕三条を国際産業観光都市(*2)にする」ことです。玉川堂の想いと自治体の動きがつながり、2013年から地域の工場を開放し来場者が製造過程を見学・体験し、産業振興と観光促進を担う「燕三条 工場(こうば)の祭典」がスタート。初年度から出展企業54社、来場者1万人以上を集めました。さらに日本で待っているだけではなく、ミラノ、台湾、スイス、ロンドンなど海外でもエキジビジョンを開催し誘客を促しました。このイベントの実行委員長を数回務めたのが玉川堂の営業、経営企画を担っている番頭の山田さんです。「工場の祭典」は2013年以来、毎年開催され2024年は出展企業109 社、来場者数は3万8592人(42%が県外)と、産業観光イベントの成功例として全国で注目されています。
この成功要因について山田さんは「いちばんの要因は行政、地元民間企業、クリエイターチームの三位一体で取り組めたことです。多様なステークホルダーと協働するためには、取り組みの意図・意義をそれぞれの立場で理解してもらえるよう「翻訳」して伝えることを心がけました」。
また燕市・三条市は金属加工の中でも食器や調理器具、鍬、鋤など食や農業に関連する製品が多く、参加者がより親近感を持て、農家や飲食店とも試食や収穫体験などで連携が図りやすいという地域の特性も成功要因の一つだと山田さん。祭典で手ごたえを感じた経営者が増え、現在およそ30社が通年でオープンファクトリーを実施。山田さんも別会社を設立し、ツアー造成を通じて、「工場」を地域の観光資源とするために取り組んでいます。今後、鎚起銅器ミュージアムやオーベルジュの建設など玉川堂の世界感を楽しんでもらうための施設をつくり、燕三条を多くの観光客が訪れる地域にしたいと玉川さん。玉川堂の進化は続きます。
工場の祭典にはモノづくりに興味を持つ若い世代も多く参加し、「後継者不足」の解決にもつながっています。玉川堂はHPのみの採用活動で毎年30~50人程度の応募があり、その8割が女性。現在、21名の職人が働いており、伝統は確実に次の世代へ受け継がれていきます。
*2国際産業観光都市…地域特有の産業を観光資源として活用し、観光振興を図る都市