今を生きる我々は、地球規模の様々な問題――人間活動に伴う地球温暖化、生物多様性の減少、窒素汚染、新型コロナウイルス感染症など――を抱えています。日本で暮らしていると、地球のあちこちで起きている事が遠い世界の関係ない話に思えるかも知れません。しかし、モノも情報もあっという間に世界を駆け巡る今、地球はとても狭くなりました。面倒だと押しやったものが一回りして返ってもきます。世界から食料・飼料・原料・燃料をかき集めている日本は、世界の「将来可能性」に大きな責任を持っています。言い換えますと、日本が問題解決に本気になれば、貿易でつながる世界全体がよくなります。これぞクールジャパンの本懐でしょう。
冒頭の文に書いた「窒素汚染」には馴染みがないかも知れません。窒素は、タンパク質や核酸などの生体分子に欠かせない元素です。我々は、食品のタンパク質から窒素を摂取しています。大気の約8割が窒素ガス(N2)であるとおり、窒素そのものはどこにでもあります。ただし、N2は安定で何もしない物質です。アンモニアなどの反応性のある形に変えてはじめて、作物生産の肥料、工業生産の原料、エネルギー生産の燃料として利用できます。20世紀初期にアンモニアの人工合成技術が実用化され、特に肥料としての窒素は我々に食料の大増産という大きな便益をもたらしてきました。ところが、我々が使う窒素の多くは反応性を持ったまま環境に漏れ出します。その結果、地球温暖化、成層圏オゾン破壊、大気汚染、水質汚染、富栄養化、酸性化など様々な環境影響が起こります。この複合的な環境影響を「窒素汚染」と呼びます。
地球は大きいけれども有限です。地球には人間を含む様々な生き物たちがいて、互いに影響し合って生きています。大きくなり過ぎた人間の営みは、地球の物質循環を大きく変えて様々な環境問題を引き起こし、他の生き物たちを生きにくくさせてもいます。将来世代が幸せに暮らせるように、地球の生き物たちがあるがままでいられるように、我々にできることはたくさんあります。我々の日々の「食」は地球環境問題に深く関わっています。食料の生産・流通・加工・消費・廃棄は、環境への温室効果ガスや窒素の重要な発生源です。食品の種類によっては生産に伴う環境への負荷が大きなものがあります。食品ロスは、食べずに捨てた食品の生産から手元に届くまでに投入された全ての資源を無駄にしてしまいます。「食」を見つめ直すことは、小さな効果の積み重ねとして、地球環境問題の解決に着実に貢献します。日本には、豊かな食文化、食材、何より人材があります。全国津々浦々で培われてきた食文化の再訪も然り、新しい食文化の創出も然り、持続可能な食の在り様を皆で考えて、実践して、世界に発することで、世界の「将来可能性」を引き寄せられたならと願っています。「食」と「食文化」は地球環境問題を解決する鍵となるのです。
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「食品ロス大国」脱却を目指し、世界に情報発信を
日本ではまだ食べられるにも関わらず捨てられる食物が年間約570万トン(農林水産省と環境省による令和元年度の推計値)もあり、世界第6位、アジアでワースト1位という不名誉な結果になっている。しかし一方で、日本には古来、モノを大切にする「もったいない文化」がある。SDGsという言葉が生まれるよりもずっと前から「いただきます」という言葉があり、「お米の中には神様がいる」など食事を最後までいただく事を美徳とする伝統があった。また、日本の得意分野である製造業の優れた企業は、耐久性が高く、長持ちする製品を作ってきており、多くの分野で大量生産大量消費とは異なるサステナブルなモデルを誇っている。この事と大量の食品ロスが存在する矛盾は、どこから来るのだろうか。2020年に「FOOD LOSS BANK」を立ち上げるきっかけになったのが、この疑問だった。つまるところ「平和な日本が原因なのではないか」という結論にたどり着いた。当事者意識を持ち難く「誰かがやってくれる」という思いがみられる。個人だけでなく、企業の中にも「とりあえずSDGsに取り組まなければならないから」と形だけ環境への配慮をしている「グリーンウオッシュ」だとして批判されているケースがある。また「そもそも気候変動なんて起こっていない」という不毛な論争まで繰り広げられている。一回の寄付や一度限りのSDGsイベントを行う事で行動を起こした気分になってしまうケースもあり、根本の問題は忘れられがちだ。結局はどれだけ一人ひとりが当事者意識を持ち行動に移せるかが重要なのではないだろうか。「食品ロスの問題はまず先に企業が行動を起こすべきなのでは」という考え方もある。確かに飲食業界、食品製造業界、流通業界等の責任も大きいだろう。しかし、年間570万トンの実に半数近くが家庭系からの廃棄なのだ。「私一人が捨てたところで大した影響はない」という幻想の積み重ねが、数百万トンにものぼるのである。私たちはもっと「一人の力」を信じるべきだろう。弊社の社名「FOOD LOSS BANK」の「バンク」には、「知識を蓄える場所」という意味がある。一人ひとりが食品ロスの正しい知識を蓄え行動すれば、塵も積もれば山となり、大きい力になる。みんなで行動を起こそう!という願いを込めている。海外で18年生活し、色々な文化やビジネスに触れ合ってきた経験から断言できるが、日本人は素晴らしい素養を持っている。「自分ごと化」さえできれば、食品ロスの対策はまさしく国民一人ひとりができる脱炭素社会への一歩なのである。もうひとつ課題に感じているのは、日本人がおおむね、情報発信が苦手なことだ。ことに良い事を伝えたい時ほど、自慢だと捉えられるのを恐れるなど発信が鈍くなる。地球は一つしかなく、全世界が繋がっている。気候変動に関する事象は「私だけ」の問題でもなく、自社だけの問題でもなければ、日本だけの問題でもない。世界にむけて、自分たちが果たしている責任を積極的に発信するべき事柄だ。世界への情報発信の取り組みとして弊社は昨年、国連食糧農業機関(FAO)の依頼を受けWorld Food Forumに向けて、日本のサステナブルな食のモデルを紹介する映像作品「マスタークラス」を6本製作した。映像はローマのWFFフィルムフェスティバルで上映され、現在も公式サイトとYouTubeで公開されている。この作品では、今世界で環境がどういう方向に向かっているかを知り、実際にその情報を元に行動に移している方々をフィーチャーしている。環境大臣、知事、経営者から子どもまで、様々な方にご出演いただいた。全体を通じて、日本人である前に同じ地球人として、国境や世代を超えて一緒に取り組んでいく事の大切さを示している。何か小さい事をきっかけに、実際に行動する初めの一歩を、一人でも多くの方が踏み出せる日本を皆で創っていきたい。当事者意識をもち、食品ロス大国を脱却して成果を堂々と発信し、他国の食品ロスの解決の糸口につなげられる日も遠くないと信じたい。
食を通じたウェルビーイング型の社会デザイン
2021年は、我が国にとって「ウェルビーイング元年」となった。その理由はいわゆる骨太方針や成長戦略のなかで、明確にウェルビーイングが位置付けられたからである。
たとえば骨太方針の中では、「政府の各種の基本計画等についてWell-beingに関するKPIを設定する」と明記された。それを受けた形で、内閣官房や文科省、厚労省、農水省、国交省、環境省、内閣府、消費者庁などが所管する、合計32もの基本計画においてWell-beingに関するKPIが設定された。この流れは2022年度以降も引き続き加速していくものと推察される。
あらためて述べておくと、ウェルビーイングとは「ある個人や社会において“よい”と知覚される体験や状態」のことを指す。それゆえ、決して固定化されたものではなく、時代や文化によって動的に変化しえる概念である。
さて、このなんとも捉えがたいウェルビーイングであるが、いうまでもなく何をもって「よい体験や状態=ウェルビーイング」とするかは、千差万別である。ゆえに「ウェルビーイングの形」を定義しようという試みは、研究者たちも早くにあきらめている。
では研究者たちは、いかにしてウェルビーイングに取り組んでいるのだろうか?一言で述べると、ウェルビーイングの「形」にこだわることなく、ウェルビーイングの「要因」を探っているのだ。つまり、何をもってウェルビーイングとするかは調査対象者に任せるとして、「その人が考えるウェルビーイングの形にどのような要因が影響していると思うのか」について、これまで半世紀以上にわたり各種調査が行われてきた。
すると面白い発見があった。それはウェルビーイングの形は人によって違うのに、ウェルビーイングの要因は共通するものが多く見られたということだ。たとえば、わかりやすい要因として「収入」がある。ある程度の収入は多くの人にとって重要な要因であるが、ではその収入を何に使ってどのようなウェルビーイングの形を目指すのかは人によって違うということである。あるいは、「社会の寛容度」という要因もある。つまり区別や差別をしない社会というのは、時代や文化を超えて、多くの人が重要と考えるウェルビーイングの要因なのである。
筆者はウェルビーイング分野の研究者のはしくれとして、日々どのような要因がウェルビーイングにとって重要なのか調査研究を行っているが、その一つに「料理頻度のジェンダー格差」がある。具体的には、社会全体をみたときに、ジェンダーによる料理頻度の格差が小さいほど、その社会のウェルビーイング度は高い傾向にあることを発見した。ほぼ全ての社会において女性の方が料理をしていることを考慮すると、つまりは「男性が料理する社会」はウェルビーイングだということを示唆している。
いま時代は、ダイバーシティやウェルビーイングが大きなキーワードとなっている。その中でたとえば「料理」というものが象徴的な行動の一つとなりえることを本稿では述べさせて頂いた。
世界の質的変化と日本への期待
生命の課題、それ即ちエネルギーの確保。2022年になりロシア危機がニュースを賑わすまで、2021年秋にCOP26の開催国となった英国や、環境先進国である欧州各国は、脱炭素、SDGsが話題の中心であった。企業に環境情報の開示義務を課すことで、環境に悪影響のある業界や、環境対策に消極的な企業へのファイナンスが絞られる仕組み作りも行っている。そして、カーボンニュートラルは、先進国を中心として用意される莫大なファイナンスと技術発展で達成できると位置付けている。また、ロシア危機と呼ばれる状況でさえ、その裏側にはロシアのエネルギーに頼らざるを得ない欧州の窮状が見え隠れしている。生命の誕生以来、エネルギーの確保が最重要課題であることは、人間の世界でも時代を問わず不変だが、その裏で一部、価値観の時間的逆行とも取れる質的な変化が起きている。
【金銭価値の変化】
お金の価値が無くなっていく、、、?そう聞くと「そんな訳ない、もっとお金があればもっと幸せになれる」という声と「その通り」という両方の声が聞こえてくる。一例を挙げると不動産。都心の新築マンションは即日完売物件が目白押し、最高倍率の部屋は100倍を超え、都心部のマンション価格はこの10年で約1.5倍となっている。同じような物件として10年前4,000万円で購入した物件から得られた価値と、現在6,000万円で購入する物件から得られる価値を比べてみて欲しい。利便性や安全性といった機能的価値、窓からの景色や街の雰囲気などの情緒的価値はほぼ不変。1.5倍のお金を出しても、得られる価値は1.5倍とはならないのである。この話から得られる教訓は2つ。1つ目は昨今の過剰流動性バブルによる価格上昇は対象物の価値が上昇したのではなく、お金の価値が下落したということ、そして2つ目は、価値は金銭的価値で測るには限界があるということだ。
【世の中の変化】
さて次に、金銭価値以外に世の中で起こっている潮流の変化を、思いつく範囲で敢えて2極に分解して列挙してみたい。
全体のものさしから個人のものさしへ
個人所有から全体所有へ
強制的な人間交際から価値観で繋がる人間交際へ
論理・理性から直感・感性へ
経済から精神へ
決められた服装からカジュアルな服装へ
力を出す肉体(アウターマッスル)からバランスする肉体(インナーマッスル)へ
リアルからヴァーチャルへ
肉食から魚介・菜食へ(食物連鎖の上を食べるか、下を食べるか)
都市から地方へ
フォーマルポリティクス(ルール)からインフォーマルポリティクス(相互理解)へ
可視経済から不可視経済へ
リニアエコノミー(直線型経済、作って使って捨てる)からサーキュラーエコノミー(循環型社会、作って使って再利用する)へ
化石燃料から再生可能エネルギーへ、、、
日本から見ると、左側は江戸末期〜明治にかけて輸入されて今に続く制度や風習、技術、価値観で、右側は江戸以前にあった日本のそれ、と感じられる。そう考えると右側へのシフトは過去や非可視化への流れとも取れるが、単純に両極で捉えて、良し悪しを判断して進んでいくだけで良いのだろうか、という疑問も湧いてくる。
【西洋的vs日本的】
西洋的な考え方とは基本的に白黒はっきりさせる線引きである。地面に描いた国境線も然りだが、自然と人間、精神と物質、ルールで縛る急ハンドルといった具合である。それに対し、日本を含むアジア的な考えはそのあたりが曖昧糢糊としている。
自然が優しい(=自然災害が少ない)欧州では自然は人間のコントロール下にあるという考え方が根付いている。石の家に住み、向こうは自然界、こっちは人間界だと考える。庭園をみても、造られた造形の自然を愛でるのが西洋流である。一方、自然環境の厳しい日本では、自然は恵みであり脅威である。故に畏敬の念を持って神と仰ぐ。隙間の多い木の家に住み、天変地異で失ってはまた建てる。庭園についても、借景に代表される自然そのものを愛でてみたり、自然界を再現したりするのもその象徴といえる。自然の中に在り、生かされている現実から、神羅万象と調和しながら生きているという感じ方だ。そうした自然エネルギーとともにある精神が柔道や剣道、茶道や華道といった心技体が調和する「道」を確立したと言える。精神文明と物質を伴う文明について、どちらか一方の二律背反ではなく切っても切り離せない関係にあることも理解している。そうした日本的な観点でもう一度世界の潮流を俯瞰すると、前述2極の右か左か、善か悪か、ではなく、それらは繋がっており、大切なのは左右の調和であることが見えてくる。
【数億年単位vs数百年単位】
先に挙げた世の中の変化を全て考察するにはスペースが限られているので、それらのうち、エネルギーとエコノミーについては若干の考察を加えておきたい。化石燃料と再生可能エネルギーも繋がっている?という疑問も出てくだろう。化石燃料の代表は、石炭、石油、ガスであり、それらは太古の生物の化石である。食物連鎖から、全ての生物は、太陽エネルギーを固定化して食物エネルギーにすることのできる植物の恩恵を受けていることが分かる。そこから考えると、化石燃料の元原料は太陽エネルギーという事実が見えてくる。一方の、再生可能エネルギーだが、その代表は太陽光、風力、水力、そして地熱。地球エネルギーである地熱以外は、太陽から降り注いだエネルギーそのもの、もしくはそれに起因していることが分かる。化石だ、再生だ、というがいずれも太陽エネルギー由来なのである。古来太陽を神と崇める民族が多いのも理解ができる。
では、リニアエコノミーとサーキュラーエコノミーの関係は?食物連鎖をごく簡単に役割分担すると生産者(植物)、消費者(動物)、分解者(微生物)に分けることが可能である。これを産業革命後に人間が作り出した物や工業化された食物連鎖に置き換えると、生産、消費までは同じだが、分解は廃棄か燃焼となる。地球を掘って出てきた化石燃原料や鉱物の形を変え、売り物にし、最後は廃棄か燃焼という直線的な繋がりがリニアエコノミーと呼ばれる所以で、自然界にずっと存在してきた持続可能なサーキュラーエコノミーと区別されている。ただ、廃棄であっても気が遠くなるような長い月日をかければ自然に還っていくことは分かっているので、プラゴミも核のゴミもそのまま放っておけば分解され数億年後の生物は気づかないかもしれない。
しかし、この2点が他の潮流と大きく異なるのは、調和にかかる年数である。産業革命前のエネルギー源は風力、水力といった自然由来のほか、火力のエネルギー源は地球の表面にある木材そのものや動植物から得る油であったので、比較的短い間に再生可能と言えた。そして、ほんの150年前までの日本では、立派に芸術性の高い物づくりはしていたが共同利用、長期利用、再利用、再生利用、自然分解という形で完全循環型社会を実現し、自然との調和を実現できていた。これは、万物に神が宿る、そして勿体ない、といった精神に根差したものだが、その精神は、前述の通り、人は五感で捉えられない事象まで含めた「神羅万象と共にある」という感じ方に育まれたものだと言える。
【むすび】
億年単位で自然界が蓄えたエネルギー資源(と鉱物資源)を、科学技術で利用することで、より便利に、より健康に、と多くの人を幸福にしたところまでは良いとして、そこに利己的な目的が入ることで、短い期間で一方向(リニア)に利用されっぱなし、となることから生まれる不調和、それが地球環境問題である。そしてその問題は、お金と技術で経済発展を続けながら自然を征服するという考え方では解決せず、測定ツールをGDPからSDGsにシフトしたところで、幸福の価値を増やすための手段が、目的化している構造に変わりはない。COP26での成果に若者や新興国が失望しているのは、本質に切り込んでいないこの点にある。
お金には、経済活動を行う潤滑油として大きな価値はあるが、それ以上ではない。技術は、人間が自然の中の存在に戻るために開発利用されるべきものなのである。重要なのは、GやDといった測定ツールではなく、人間が中身から、人間を含む自然と調和していく意識である。
江戸末期〜明治初期に日本を訪れた欧米人の観察者の1人フランスのエミール・エチエン・ギメ は「日本人は何と自然を熱愛しているのだろう。何と自然の美を利用することをよく知っているのだろう。安楽で静かで幸福な生活、大それた欲望を持たず、競争もせず、穏やかな感覚と、慎しやかな物質的満足感に満ちた生活を、何と上手に組み立てることを知っているのだろう。」としている。
渋沢栄一氏による合本主義、原丈人氏による公益資本主義、そして故宇沢弘文氏による社会的共通資本論、という1人1人の精神的幸福と全体、地球環境と経済との調和を意識した資本主義の考え方が、行き過ぎた欧米型資本主義へのアンチテーゼとして昨今再び耳目を集めている。こうした考え方が生まれたのはやはり日本ならではと感じざるを得ない。
そして、調和という言葉が何度か登場したが、それは今ある現行システムとの調和も意味しているのである。
UNWTOが推進するガストロノミー・ツーリズムの未来
UNWTOの調査によると、近年は観光名所を訪問することと同じくらい、訪問先で郷土料理を楽しむことを通じて、地域のライフスタイル・文化を味わい、体験することを重視する観光客が増加しています。これらの観光客は、本物志向が強く、平均以上に消費するという傾向があります。
ガストロノミーツーリズムとは、「その土地の気候風土が生んだ食材・習慣・伝統・歴史などによって育まれた食を楽しみ、その土地の食文化に触れることを目的としたツーリズム」と定義されています。
アフターコロナを見据え、オーバーツーリズムなどのコロナ禍前の観光課題への反省から、SDGsへの取組がより重要となり、経済のみならず社会・文化、環境面も重視した「持続可能な観光」への関心が徐々に高まっています。ガストロノミーツーリズムは、地域の自然環境や農業、文化との関係が深く、誰もが参画することができ人々の健康や幸福にも貢献するといった特長を有し、持続可能な観光を達成できる有効な手段になります。
また、「食」は地域に由来する歴史的・文化的背景が育んだものが多く、地域の特色を出しやすいコンテンツであり、旅の大きな楽しみでもあります。観光庁の調査においても、訪日外国人が期待することの1位が「日本食を食べること」、6位が「日本の酒を飲むこと」となっています。
以上のことから、ガストロノミーツーリズムは、地域振興の手段として地方自治体も積極的に取組を行っています。
UNWTOは、ガストロノミーツーリズムが重視される理由として、①地域の差別化がしやすい、②訪問者に新たな価値観・体験を与えられる、③観光資源が乏しい地域でも始められる、④ストーリーを語りやすい、⑤再訪意識を促進するという点を挙げています。
ガストロノミーツーリズムに関するUNWTOの取組として、次の3点御紹介したいと思います。
1点目がUNWTOは、日本のガストロノミーツーリズムの優良事例として18のケースに焦点を当てた“Gastronomy Tourism – The Case of Japan”を2019年に発表しています。この調査では、基礎自治体1,741団体(回収数584)へのアンケート調査により、日本ではガストロノミーツーリズムに関する試みは、観光振興よりも、「持続可能な地域づくり」や「農業との連携」という観点から、総合的に取り組まれていること、また、官民連携についても、海外よりも積極的に取り組まれていることが明らかになっています。
2点目として、UNWTOは地域がガストロノミーツーリズムに取り組むに際し、指針となるよう、「ガストロノミーツーリズム発展のためのガイドライン」を2019年に公表しています。政府や地方自治体、DMO等の関係者に対して、地域におけるガストロノミーツーリズムの発展に向けて、企画・運営面において考慮すべき事項や取るべき行動や推奨事項について示した実践的なガイドラインとなっています。
最後に、UNWTOでは、「ガストロノミーツーリズム世界フォーラム」という国際会議を世界各国で開催しています。2022年にはいよいよ奈良県において開催されることが決定しました。
本世界フォーラム開催を契機として、奈良県、関西、ひいては日本のガストロノミーツーリズムの多様性、先進性が世界に発信されるとともに、生産者、事業者、地域の人々をつなぎ、人々の心身の健康・幸福感を促進し、持続可能な社会の実現を目指すことを期待します。