時代の終焉、新時代の
幕開けと「こころ」
<21世紀の意識革命 :
「SBNR」とは>

SNBR研究者 Transformative Experience Designer
ニコラ・プゼ氏

【「神の死」以後のパラダイム転換】
研究者によってSBNRと称される「Spiritual but not religious : 特定の宗教への信仰心は持たないが、神秘的なものに惹かれる人々」の数は年々増える一方である。又、SBNRとは一種のマニフェストであり、そこに横たわる価値観、スピリチュアリティへの改めた関心などは、我らのポストモダン社会に新しい時代の到来を予告するパラダイムチェンジとも受け取れるであろう。

アメリカのような超大国において、成人で5人に1人はSBNRであると言われている。また、ミレニアル世代の間では、この傾向がより顕著であることも今日知られている。では、なぜこれ程にまでSBNRが大きな影響力を有するに至ったのか?

【時代を映し出す鏡としての存在】
一つ目、SBNRという現象は現代社会が生み出した産物との視点があげられる。SBNR達は確かな個人主義者であり、現世代とともに政治的・宗教的権力への嫌悪感も抱いている。そこから、自己判断をより重んじる彼らは、自己責任や自己実現への肯定的な感情を表し、人生のゴールや神秘といった命題を正面から見つめ直すスタンスを示している。つまり、従来の「師」、「指導者」、「倫理」などを頼らず、自分自身は「自分のグル」でいようとの大きな特徴を持つ。
二つ目、SBNRの「エートス」(=生活態度、心的態度、倫理的態度)またはミレニアル世代やZ世代が寄せる関心事との間、多数の相関性が見えてくるものの(エコロジーや環境問題への関心・関与、社会的寛容、ジェンダー許容、信条、信念の自由等々)、物質主義的な価値観にとらわれた現代社会の無神論者達との線引きは、もはや自明であろう。詳しく言うと、「自身の心の内側(主体)」、「我々を取り囲む自然(客体)」、そして、「自分と外部世界とのかかわり(主客)」それぞれの中に「神聖な存在」を追い求めるSBNR達の姿が映し出すもの、それこそは、人間本来の姿への回帰を希求する、我々の内に宿る主体的、感情的、非功利主義的な「こころ」の発現であろう。

【人類の自己実現への跳躍】
学術的な視点に依拠し、SBNRが人類の自己実現化を促す運動として考えられ、つまりマズローの欲求階層説の最終的かつ最大限の段階に至る志でもあろう。

物質主義的な社会の在り方が、マズローのいうところの第一、第二段階 ― 生理学的な充足や、安全と安定といった「基本的欲求」の補完 ― にあるのだとして、現在社会の「デジタル化」(DX)はマズローの欲求階層説の第三階、第四階 ― 所属と愛情の欲求、または承認の欲求 ―に至るであろう。特にソーシャルメディアに全幅の熱心と信頼を置くミレニアル世代やZ世代から、「多元多様な他集団への帰属」「他者からの承認」「自身、自尊心」など示している欲求はそれを明らかに証明するであろう。 

それを対象に、-自己実現-という最終段階に向かうSBNR達は人類の先駆者として、現代社会が過剰的な合理性により見失った非物質的な価値、とりわけ「美」「創造性」「共感」「スピリチュアリティ」などを取り戻すことを目指し、現代のSDGsさえが目指す目標以上、有義のある社会パラダイムチェンジに導こうと見せている行動である。

【SBNRと経済活動】
我々が現代社会において何が出来るのか。それはSBNRの「エートス」に依拠し、改めて考え直してみれば、その無限の可能性に誰しもが驚くことであろう。サービス産業全般、CX (カスタマーエクスペリエンス)、コミュニティデザイン、地方活性化、あらゆる領域に及び、SBNRの考え方は応用可能で、とりわけ観光業はSBNRの精神が有効に機能する最適の分野と考えられる。

事実、地球上で最も裕福とされる人々が旅に追い求めるもの、それは自らが旅を通じて新たな世界へ足を踏み入れる契機、人生の新たなページの模索である(世界最上位の旅行コンソーシアムであるTraveller Madeが2021年11月に行ったリブランディングに際し、セレンディピアンという名のもと提出したマニフェストの中に、「トランスフォーマティブ・トラベル」への言及がみられる事に留意されたい)。

【日本の風土との親和性】
果たして、壮大なる自然の風景を背後に据え、そこに精神世界が広がる伝統文化を育んできた日本こそは、SBNRの考え方に共鳴する旅人にとって、最良・最高の環境ではないだろうか。禅思想や高野山に代表されるような成功事例を引用せずとも、日本の国家戦略として継続性のある経済発展を目指す上でも、又、観光業での分野において新時代到来を告げるパイオニアとして世界をけん引していく役を果たすという意味でも、インバウンド市場におけるSBNRの活用による余得は枚挙に暇がない。

また、日本人独特の宗教観と密接に繋がっている神道行事や、祭の重要性についての言及を避ける事も出来ないだろう。アニミズム的儀礼や、言語化された宗教上のドグマに還元されることのない、大いなる自然との対話や融合という経験などを通じ、人々の心の中に本能的、直観的な形相として宿るスピリチュアリティこそ、日本に古くから存在するSBNR的な感性の原始の姿に他ならない。

匠のこころ、自然の素材が持つ可能性を極限にまで引き出す技、ここにも同様の精神の現れを認める事が出来る。侘び寂の精神であれ、不完全なものや空の中に審美性を見出し、こうしてモノとの関係においても意味の充足を求めていく姿勢に、現代社会においても脈々と継承されてきた日本の民族学的固有性を認める事が出来るだろう。

その他、西洋・東洋においても、人間的・現世的・即物的な欲望の一つとして、美食・ガストロノミーがあげられる。ところが、日本という地平、そしてSBNRのエートスという土壌、この両者が結びついたときに、食という主題が奇跡的な変容を遂げるのである。心と体の健康、精神的充足、美の形象に結実する神聖さや無限というテーマ。現代における「神饌」というタキシノミアを織りなし、食に携わるもの(調理や給仕をする者)、それを口にするもの(客人、又は養われる側のか弱き存在)、命を奪う存在や生にかかわるもの一切(生産者、漁師から消費者まで)、といった存在一切を包摂するのである。

一方、日本文化が海外に普及しつつあるものの、その意義と真髄を真に伝えるナラティヴ(神話・物語)がまだ最適に成り立っていないため、日本文化の本来の潜在影響力を最大限に引き出せない状態に留まっている。そこは、SBNRのエートスが改める価値観やナラティヴこそは解決の鍵となりえて、日本全国の地方活性への有義のある新風をもたらすポテンシャルは無限に近い。

【結び】
海外においてSBNRの勢いが増すにつれ、物質主義的充足に主眼を置いた日本のマス市場向けの観光立国戦略の限界、破綻も現実のものに近づいている。他方、日本国みずからがSBNR的エートスを我が物とする限りにおいて、世界に比類のないデスティネーションおよび社会として生まれ変わる、その新たな扉もここに開かれているのである。

SNBR研究者 Transformative Experience Designer
ニコラ・プゼ氏