地産地消の醤油づくりを、世界に伝承
「創業170年のベンチャー」。 ホームページでも目を惹く、ちば醤油のコーポレートメッセージです。 創業は1854年。江戸時代から170年間使い続ける木桶で、時間をかけて醸造する伝統的な木桶仕込みの醤油醸造を守ってきました。伝統を継承する一方で、現社長の飯田恭介さんは、常に新しい取り組みを行っています。 醤油メーカーは現在、日本に1150社ほど。大手企業6社で約60%の売上を占め、それに続く準大手9社を加えると上位15社で、約75パーセントを占める寡占業界です。大手、準大手と同じことをやっていては私たちに成長はないという強い危機感を、飯田社長は抱いていました。その打開策の一つとして昭和60年代から、本格的な海外進出事業に挑戦したのです。
醤油文化の可能性を追求し、 世界に最大の門戸を開く
ちば醤油は現在、業務用の醤油醸造を軸に、醤油を使った麺つゆやタレなどの製造や、ミシュランの星つきレストランのOEM開発などユニークな試みも行っています。家庭用の醤油は2006年、厳選された国産の丸大豆、小麦、塩のみを使い、創業以来使い続ける容積8千リットルの木桶で醸造した「下総醤油」を開発。グルメ雑誌「dancyu」に「ピカイチの醤油人気ナンバーワン」として取り上げられ、醤油生産量全国一の千葉県でも食のプロが認める万能タイプのこいくち醤油として知られるほどに。また俳優の故・三浦春馬さんも“発酵”への興味から、江戸時代以来の醤油造りを見学したいと、ちば醤油を自ら取材されています。
(書籍「日本製」)
もともとちば醤油は、大村屋商店と飯田佐次兵衛商店のふたつの醤油会社が1964年に合併してできた会社です。飯田社長は、飯田家の長男として工場の敷地内の自宅で生まれ、幼少期から醤油産業の栄枯盛衰を見ながら育ちました。
身近に感じる醤油ですが、日本の家庭の消費は減る一方。醤油の国内消費量は昭和30年代をピークに減少の一途で、現在は醤油王国千葉県でも、麹作りから行う醤油メーカーは、10社程度になっています。業務用事業も、供給過剰による価格競争が激化しています。価格の下をくぐりあう商売では、強みが活かせないと感じた飯田社長は、昭和60年代から海外へ目を向け始めました。
当時、鰻の蒲焼、焼き鳥、つくだ煮、魚などの加工が中国や東南アジアで広まっていました。鰻のたれを1万トン輸出するなど、業務用の需要をもとめていた醤油業界は日本食品の海外生産に注目していました。
実はちば醤油には海外進出のDNAが刷り込まれています。明治35年には当時の飯田佐次兵衛商店がハワイでの醤油生産を試み、昭和14年には大村屋が、現在の中国に醤油・味噌工場を開設し、終戦まで営業を行っていました。
先代経営者のDNAを受け継ぎ、飯田社長は2007年に中国上海で行われた食品展示会に出展。それを契機に台湾、シンガポール、ロシアなど出展実績を重ねた後、「赤ちゃん用の出汁醤油」や「ラーメン用のかえし」など中国への輸出にもつなげています。
積極的な活動が、 アメリカで運命の出会いとして実を結ぶ
台湾や中国との取引は、2011年の東北大震災の放射能汚染により輸出禁止となり、事業として大きく伸ばすには至りませんでした。しかし同社は次のビジネスの方向をアセアン圏に向けたのです。
2007年、2013年とiTQiコンテスト(国際味覚及び品質審査会)で下総醤油が二つ星を獲得。ブランディングを強化しながら、飯田社長は2014年10月にインドネシアで開かれた「インドネシア日本共同科学シンポジウム」で「History and Current Status of Japanese Soy Sauce」と題した基調講演を行いました。また2013年には、ハラール認証を取得し、イスラム教徒向けの醤油「ハラルこい口醤油」を発売したり、モンゴル向けの辛い醤油も開発。ドイツでは日本食材の専門商社を通じて、ちば醤油の製品をミシュランの星獲得レストランなどに提供しています。
こうした海外での活動がワールドワイドな社会貢献を生み出しました。2019年、現在アメリカ・コネチカット州ミスティックで醤油、味噌など発酵食品の開発に取り組んでいる「Haley Brook Foods」社CEOのボブ・フローレンスさんから突然メールで「発酵・醸造の技術を学びたい」と連絡があったのです。
「私は化学者で発酵・醤油に関心を持っていました。50以上の日本の醤油会社に連絡をしましたが、どこもあまり良い反応がなかった中、飯田さんだけが前向きに興味を示してくれたのです」とボブさんは語ります。
「ちば醤油の技術を学びに何度も日本に足を運び、自分で作った醤油を試してもらいました。試行錯誤の結果、製品化が実現しました。最初は隣の州の大豆を使っていましたが、現在は近所の農園が作ってくれるまでに成長しています。アメリカでもサワーブレッドという発酵パンがありますが、発祥のサンフランシスコと、ニューヨークの味は全然違うんです。将来は全ての材料をローカルにし、全米各地でその土地ごとのフレーバーのクラフト醤油を作りたいと考えています。クラフト醤油をアメリカに広め、日本とも交流して新しい醤油文化を作りたいです」。(ボブさん)
飯田社長の海外進出によってボブさんに発酵・醤油が伝承され、またボブさんから新しい文化が生まれはじめているのです。
戦略とものづくり。 守るべき伝統を継承しながら、 新たなマーケットに挑戦し続ける
地道な努力を繰り返す中で、飯田社長はいま海外進出について冷静に分析しています。「海外と日本では醤油に求める価値が違います。いくら高品質の醤油を作っても、価格が高ければ売れません。しかも北米やタイ、シンガポールなどはすでに大手企業が進出しています」。そこで飯田社長が新たに注目するのがインドです。
「インドの大豆はすべて遺伝子の組み換えをしていないので、良い醤油が出来上がる素地があります。当社の長い醤油造りの歴史やこれまで海外で展開してきたノウハウを注ぎ、また新たな醤油文化を海外に根付かせるための方法を真剣に考えたいと思います。現地で日本料理店を展開するインドの富裕層は醤油にとても関心を持ってくれていますし、そうした人々とコミュニケーションを取り、醤油の可能性をさらに広げていきたいです」。次なる成功への道はもうすぐ。冷静ながらも、創業170年のベンチャーの熱く強い志が見えた瞬間でした。
ちば醤油のもう1つの強み。それは、積極経営の飯田社長をサポートし、ちば醤油を支える佐々木優大醸造部長のものづくりへの想いです。「醤油はこうじ菌という微生物で作られますが、私は毎日微生物に話しかけるような気持ちで醤油を作っています。いまはステンレス製の桶でつくる醤油も増えていますが、下総醤油が使っている古い木桶にはさまざまな微生物が棲んでいて、発酵を促してくれるんです。蔵ごとに棲む菌が違うので、味わいも桶ごとに違います」。 佐々木部長は小さい頃から食・食文化に触れる環境で育ちました。だからこそ、醤油造りに欠かせない微生物に愛情を持ち、ほかでは真似できない美味しい醤油造りを実現できているのです。
一方、現在、醤油醸造の根源となる木桶を作れる職人がどんどん減っているといいます。木桶は単なるノスタルジーではなく、醤油の味を決める大切な道具です。「日本の発酵文化を後世に伝えるためにも、昔からの醤油醸造をもっと語り継がなければいけない、と生産現場を預かる私は強く感じています」と佐々木部長。力強いメッセージから、クールジャパンが共に取り組むべき課題も見えてきました。