Model case 19

“ない”ことより、“ある”ものに価値を見出す ―隠岐諸島が魅せる、自然・人・歴史と食文化―

ユネスコ世界ジオパークを共通の志に、
持続可能な新しい共創モデルを構築する

島根県隠岐郡 島根県隠岐諸島 (一社)隠岐ジオパーク推進機構

島根半島の北方40-80kmに位置する隠岐諸島。大小約180もの島々で構成され、4つの有人島からなる自然豊かな諸島です。美しい自然に恵まれた離島でありながら、古より人と文化の交流が盛んで、後鳥羽上皇や後醍醐天皇の遠流の地として定められた歴史や、北前船の寄港地として栄えた歴史があります。 長い歴史の中で生まれた多様で豊かな文化は今もなお受け継がれ、そして隠岐に魅了された多くの人々が移り住む、移住者の多い島としても有名です。その移住者たちが、古事記に登場するほどに長い隠岐諸島の歴史を温ねて、島の新しい未来を創るために奔走しています。離島というハンデから“ない”ものが多い暮らしの中で、この離島だからこそ“ある”ものに気付き始めた人々がそこにはいました。

Chapter 01

-地域の唯一無二性-

 景勝地に富み、神事にゆかりの地も多い隠岐諸島。その大地の成り立ちや歴史文化、独自の生態系からユネスコ世界ジオパークに認定されています。ジオパークとは「国際的な価値ある地質・地形を保護し、それに関連する自然環境や地域文化への理解を深め、教育や地域振興を通して持続可能な開発を行う地域」のことです。
 「子供たちに隠岐出身だと胸を張って欲しい。そのために誇りに思える場所にしたい」と語るのは、隠岐のジオパークの仕掛け人の一人で、現在は一般社団法人隠岐ジオパーク推進機構の事務局長を務める野邉さん。野邉さんは2009年からジオパークによる地域活性を目指し、4島の行政や観光の関連団体を説得。2013年に世界ジオパークに認定され、2015年には世界ジオパークがユネスコの事業になったことから、隠岐はユネスコ世界ジオパークの一員となります。隠岐特有の「大地の成り立ち」「独自の生態系」「人の営み」というテーマを通して、雄大なジオパークの魅力を世界中へ発信。この認定が、隠岐の人々が自信に満ち溢れるシビックプライドの醸成を促し、島の新しい観光を考えるきっかけになりました。
 「教育と環境保全、ツーリズムを通じて持続可能な観光モデルの構築に足掻いている最中です」と隠岐の活性化と振興のために挑戦を続ける野邉さんは、2022年から株式会社JTBと連携協定を結び、官民一体となって隠岐のブランディング・地域活性化、及びコンテンツ造成に取り組んでいます。
 株式会社JTBからは現在5名の職員が、4島に着任。「世界に誇れる優れた観光資源があるのですが、まだまだ認知度はこれからです。より魅力的な地域にして、地域の経済を観光で潤していきたい」とプロジェクトの発起人である地域交流担当部長の毛利さんは語ります。
 海士町で活躍する竹原さんは、「地域にある魅力的なものを自分たちで探して、魅せ方と伝え方を考えながら、新しい観光商品を提供していきたい」と言います。4島それぞれの職員が、タッグを組み、時には競争をしながら隠岐の魅力を掘り下げて商品開発をしているそうです。この連携協定は隠岐をもっと魅力的な地域にしていくことでしょう。

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Chapter 02

泊まれるジオパーク拠点施設 【Entô】

 ガラス張りの窓が特徴的なEntô(エントウ)は、隠岐ユネスコ世界ジオパークの拠点施設と宿泊施設の2つを併せ持つ、国内初のホテルです。ジオパークが持つ凄みや面白みを最大限体験するために、地球と隠岐の成り立ちや魅力を学べる展示室ジオルーム “Discover”も併設しています。そんなEntôを率いるは株式会社海士で代表取締役を務める青山さん。
 「 “地球にぽつん”をコンセプトに、圧倒的な絶景を誇る自然の前で、自然との一体感を感じ、ジオパークを感じられる場所を目指して作られたホテルです」
 ユネスコ世界ジオパークの認定後、地域におけるジオパークの価値がうまく活用しきれていないと感じた青山さんは、いわゆる都市型のラグジュアリーとは一線を画す、新しいラグジュアリーの定義を模索。自然や島の営みを感じ、島民との交流ができる、贅沢でゆったりとした時間と空間を意識したホテルを考えます。
 景観を邪魔しないシンプルなデザインや色遣い、環境に配慮して設計されたEntôはこのような経緯を経て作られました。Entôは、これからもジオパークの玄関口として、持続可能な観光の一端を担っていきます。

【Entôホームページ: https://ento-oki.jp/】

Chapter 03

島の営み 【なかがみ養殖場】【焼火神社】

 日本で初めて岩ガキの養殖を成功させた「なかがみ養殖場」の中上さんは、父親が行なっていた海苔やイタヤ貝の養殖場を継ぐために、大阪から帰省。その後、西ノ島の漁業の発展や地域の若者雇用を目指し、当時は天然物が高額で取引されていたという岩ガキの養殖に着手します。
 「今ないものを作らなければ先に進めない。今あるものを後から追いかけるのではなく、日本でまだやっていないことをしたかった」と中上さんは、当時の心境を語ります。
 現在、岩ガキ養殖は隠岐4島の全ての島で行われており、隠岐の特産品として有名です。隠岐は山と海が近く、牡蠣の養殖に適した条件の良い入江が多いそうで、山で蓄えられた栄養が豊かな海を育てています。さらに人口が少ないことで海域が汚れず、隠岐の岩ガキは条件の揃ったきれい海で3~6年かけてじっくりと育てられます。

 「大自然に神秘を感じた人々が信仰し、自然と共に生きてきた人の営みを垣間見ることができる重要な文化財です」と話すのは、焼火神社の21代目宮司を務める松浦さん。
 焼火神社は、背の高い焼火山に鎮座する神社であることから、航海の目印として古くから船乗りたちに崇められてきました。歌川広重の版画「六十余州名所図会」では隠岐の名所としても描かれています。
 「1000年もの歴史ある神社は隠岐に16社もあります」と松浦さん。隠岐には大小合わせて150社以上もの神社があり、江戸時代には300社以上とも言われている、まさに神々の島。
 昔の人々が大自然に何を感じ、何を大切にして暮らして来たのか。隠岐の神社と信仰を知ることで、この島々の中で行われてきた人の営みと出会うことができます。

【なかがみ養殖場ホームページ: https://www.okihikari.com/】
【焼火神社ホームページ: http://takuhi-shrine.com/index.html】

Chapter 04

観光の玄関口 【(一社)隠岐ジオパーク推進機構】

 (一社)隠岐ジオパーク推進機構のマーケティングチームの中で、一際活躍している神奈川出身の石原さんと、ポーランド出身のヤゴダさん。
 シンガポールで観光マーケティングの仕事をしていた石原さんは、「暮らすことと、挑戦することが両立できる島」だと感じて移住を決意。これまでの団体旅行から、それぞれ趣味・嗜好の違う個人旅行へとパラダイムシフトが起きている旅行業界で、マーケティングを武器に、隠岐の観光のこれからを担っています。
 人材育成やマーケティングを担当するヤゴダさんはポーランド出身。隠岐の子供たちと、世界中のジオパークに住む子供たちの交流を促進したり、シビックプライドを醸成するための支援を行なっています。日本の離島で働いているにも関わらず、世界中の方々と交流・協力ができるというのは、ユネスコ世界ジオパークの魅力の一つです。
 「隠岐には宝物がたくさんあります。この宝物をもっと発信して、国内のみならず、世界の人たちに本当の隠岐を知って欲しいと思っています」とヤゴダさんは隠岐に可能性を感じています。
 環境を保全しながら、ジオパークを教育と観光にいかに活用していくか。これまでの消費型の観光から、持続可能な観光を目指すために、地域住民を含めたより多くの人々が一丸となって、地域の魅力を広めることが求められます。関係者が足並みを揃えることは簡単なことではありませんが、「今はまだ、入り口に立ったばかり。やりたいことが山ほどあります」と話すお二人の挑戦は、まだまだ続いていくことでしょう。

Chapter 05

料理で島を表現する 【Chez SAWA】 【ジオリゾートシンフォニー/カフェ ラ・メール】

 Chez SAWA(シェサワ) は、島の恵みを活かした地産地消のフレンチレストラン。古民家をリノベーションしたモダンな雰囲気の客席で、ナイフを入れるのに躊躇するような、美しさのある料理を振る舞います。
 「創作料理になりすぎないよう、フレンチの骨格はそのままに、島らしさを表現した味わいを探求しています」と語るのは、長野出身の里野さん。兵庫県出身の岡田さんとお二人でレストランを経営しています。
 「フランスやドイツで修行後、大手リゾートホテルで勤めていましたが、効率化された決まった料理を作るだけに満足できず、一人組限定のような小さなレストランをやりたかった」と、里野さんは旅行で島を訪れたことをきっかけに移住しました。「島の食材だけで料理を作ることも、思いのほか楽しいです」と里野さんは語ります。
 一方、岡田さんは「作るから食べるまでの繋がった農業」をしたいと思い、1年遅れて移住を決意。自社農園ITADAKI FARMを立ち上げ、レストランで使用する農作物を丹精込めて育てています。
 農園では野菜だけでなく、知夫軍鶏と呼ばれる国産地鶏も飼育されており、自然豊かな離島でストレスなく育てられた軍鶏をレストランで提供しています。知夫軍鶏は、信州産の高級地鶏として名高い、ぎたろう軍鶏を種鶏にしているため、旨味が強く、適度な弾力が特徴です。海産物が自慢のはずの離島の中で、それに負けない存在感のある軍鶏が料理を一層引き立てます。
 また、ITADAKI FARMでは循環型の農業を目指しており、軍鶏の鶏糞や調理の際に出る端材を肥料として再利用。小さな離島の中で、環境に優しい方法を日々模索しています。
 しっかり根を張りながら、あるものの中で「おいしさ」を探り続け、ない食材は自分たちで作り、楽しみながら暮らしているお二人。今後は、レストランに宿泊施設を併設したいと夢を語ります。

 「わざわざ隠岐の島を選んで来て下さったゲストの、その旅の、そして人生の心象風景に添えられる様な、世界中でここだけの時間と、料理を表現出来たらと思っています」と話すのは、ジオリゾートシンフォニー/カフェ ラ・メールを運営する松山さん。
 ここは別世界のような、隠岐の島の中でも人目に触れない隠れ里にひっそりと佇んでいます。掲げるテーマは「響きあう。空、海、森、風、時。」
 松山さんのご家族が織り成す創意工夫に満ちた料理はフレンチ、イタリアンというカテゴリーを超え唯一無二の世界観を創出。宿泊コテージやエクスペリエンス、アウトドアアクティビティも充実しており、大自然に身を委ねながら、至福の時間を過ごすことができます。
 料理を含め、全体の通奏低音、テーマとして、ワインの世界で表現される“terroir“(テロワール)を常に意識しているという。
 「フランス語の“terroir“に一致する単語は日本語には無いと思っています。そこで私は造語で “風土味“ (ふうどみ)と表現しています。そしてこの島の風土味を感じ、生物の個性を活かし、ノイズを削いだ料理を日々求めています。足るを知り、有るものを活かす。純粋な当たり前のことです」
 隠岐の島の気象、地形、地質、水質など全ての自然環境が醸すテロワールを求め、この島ならではの四季折々の素材を自ら山に入り、海に入り、漁師、猟師、支えてくれる様々な仲間と深求し、他の地域には無い感動を生み出しています。
 料理の説明も重要なファクターの一つ。松山さんは素材と料理に真摯に向き合い、深く理解しているからこそ、誰もが聞き入ってしまう料理観をストーリーとして展開します。その研ぎ清まされた感受性、そして感性と、出来る限りの全てを駆使した美味しさに、僻地である離島であっても、世界中の食通たちがこの料理のためだけに隠岐の島を訪れています。

【Chez SAWAホームページ: https://ya5p400.gorp.jp/】
【ジオリゾートシンフォニーInstagram: https://instagram.com/georesortsymphony?igshid=NTc4MTIwNjQ2YQ==】

Chapter 06

新しい産業を創造する 【崎みかん】【島食の寺子屋】

 2013年から「海士の崎みかん再生プロジェクト」に参画し、日本の最北端でみかんの栽培に挑戦している丹後さん。
 「最初は失敗ばかりでした。雑木林を伐採して農地を確保するところからスタート。雪が降り、潮風の強い日本海の離島でのみかん栽培は試行錯誤の連続です」
 昭和30年頃にみかんの生産がはじまり、最盛期には10ヘクタールあまりの畑で栽培されていた崎みかんは、農家の高齢化や後継者不足により、衰退の危機に。そこで行政とJ Aが中心となって再生に乗り出します。そこに名乗りを上げ、移住してきたのが丹後さんです。
「酸味と甘みのバランスが絶妙で、どこか昔懐かしいみかん」と表現される崎みかんは順調に拡大を続けています。収穫時には、地域住民や高校生などが大勢参加するそうで、今では冬の風物詩に。豊かな自然を享受する一方で、自然の厳しさは地域一丸となって乗り越えていく、離島ならではの光景を見ることができました。

 島食の寺子屋は、島に暮らしながら、プロの料理人から和食の基礎を学ぶプログラム。「その日を形にする」をテーマに、島で採れたものだけで、その都度メニューを決めて料理を学びます。
 「ないものはない。料理に使う食材を全国から取り寄せるのはなく、今あるものをありがたく頂戴して料理をしていく。限られた食材で工夫して料理をつくる技術と、その姿勢を身につけていくことができます」と語るのは、大阪出身でコーディネーターを務める恒光さん。
 手に入る食材の量や種類は日によって変化するため、思い通りにいかない中で、生徒には創意工夫が求められます。さらに海・山・里の食材について学ぶため、現地で生産者と触れ合い、収穫作業や漁業まで体験。包丁の使い方や出汁の引き方だけでなく、ここにしかないストーリーを学ぶことで、食材への理解を深めていきます。
 「例えば、今日は里で大豆が採れたぞ、となると海からにがりを持ってきてお豆腐を作ろうという話になったりするんです。料理を構成する材料が、小さな島だからこそシンプルに交わり完結します。このシンプルさ故に、島全体を使って料理を学ぶことができるのだと思います」
 そう語る恒光さんは、“小さな離島でしかできないこと”に注目し、あるものを最大限活用した挑戦を続けています。

【崎みかん再生プロジェクトFacebook: https://www.facebook.com/SakimikanPJT/】
【島食の寺子屋ホームページ: https://washoku-terakoya.com/】

隠岐は、遠流の地として定められ、北前船の寄港地となったことからよそ者(移住者)を受容するメンタリティが島に根付いています。そして、“ない”ことを諦めるのではなく、“ない”からこそ作り出していく発想の転換が醸成されている島です。この排他的でなく、失敗を許容し、挑戦を歓迎する島の姿勢こそが、多くの人々を魅了しているのかもしれません。今回紹介している方のほとんどが移住者なのは偶然ではないのです。
古い歴史の中で隠岐は変えていいもの、変えてはいけないものを分別し、変わっていくことを楽しんでいるようにも感じます。未来を見据える小さな離島の挑戦は、日本を変える小さな一歩になるはずです。
文・小笠原 怜士

【(一社)隠岐ジオパーク推進機構ホームページ: https://www.oki-geopark.jp/】

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