Model case 23

黒潮の恩恵を受ける、地域が誇る個性豊かな食文化

黒潮の恩恵を受ける、地域が誇る個性豊かな食文化

高知県の西南地域に位置し、美しい砂浜や磯が続く海岸線と緑豊かな山々の広がる黒潮町。 その名の通り、日本列島の南岸に沿って北太平洋を還流する黒潮によって栄えた港町で、黒潮がもたらす豊かな漁場とともに、古くから生活を営んできました。黒潮町では1年を通して様々な魚介類が水揚げされますが、なかでも黒潮にのってやってくるカツオは、この町の食文化に大きな影響を与えています。黒潮町のカツオ漁は、回遊するカツオを擬餌針と竿一本で釣り上げる「土佐カツオ一本釣り漁業」と呼ばれ、400年以上の歴史ある伝統漁法です。黒潮が育んだ食文化の伝統を色濃く残す黒潮町は、伝統の中に新しいものを取り入れ、新たな価値を創造しています。

Chapter 01

-地域の唯一無二性-

「目に青葉、山ほととぎす初かつお」と江戸時代の俳人・山口素堂が詠んでいるように、カツオは昔から春の訪れを知らせ、人々の味覚を楽しませてきました。ここ黒潮町では、江戸時代以前から漁業を営む人びとが暮らしていたと言われており、伝統的なカツオ一本釣り漁業は400年以上経った今でも続いています。特にカツオ一本釣り漁獲高日本一を誇る船団「明神丸」が有名で、黒潮町が“カツオの町”と呼ばれる理由の一つです。明神丸は明神水産(株)が所有するカツオ一本釣り漁船。明神丸が釣り上げたカツオを加工・販売するため、水産加工販売業や飲食事業も展開しています。
 また古くから塩づくりも盛んで、黒潮町にある「塩谷の浜」と呼ばれる浜では1333(建武2)年に塩づくりが始められたという記述が残っています。当時は海辺の砂浜に塩田をつくり、海水を補給しながら濃縮。濃縮された海水を釜に入れ、塩が結晶化されるまでゆっくりと炊き込む方法で塩を作っていましたが、明治38年に塩の供給量や価格のコントロール、財政収入確保のために、塩の専売法が制定され、この地域の塩づくりは廃止になりました。その後、昭和58年に塩づくりを復活させようと「生命と塩の会」が黒潮町で結成され、これまでの伝統的な塩づくりから、人工的な熱は一切加えず、海水を太陽と風の力だけで蒸発させて作る天日塩づくりが始まりました。塩づくりに適した温暖な気候も相まって、高知県では現在、十数箇所の製塩所がそれぞれの製法で塩づくりに励んでいます。

Chapter 02

塩守りが紡ぐ、海からの贈り物【(有)ソルティーブ】

 「口に入れた瞬間に甘みや旨味が感じられ、少し遅れて塩辛さが追いかけてくる。味の持続時間は最低でも4秒、最後はまた旨みで終わるような塩が理想です」と(有)ソルティーブ2代目・吉田拓丸さんは言います。(有)ソルティーブは、天日塩のパイオニアと称される父・吉田猛さんが創業した製塩場。大阪でサラリーマン生活をしていた猛さんが塩づくりのために黒潮町に移住し、塩づくりを復活させようと「生命と塩の会」で勉強したのちに独立。「土佐の塩丸」と命名した商品は人気を集め、漫画『美味しんぼ』など多くのメディアで取り上げられました。
 「塩づくりを生業にする父の姿を幼少期から憧れていた」と語る拓丸さんは、大阪のダイビング会社を経て2009年に帰省し、父の元で塩づくりの修行を始めます。7年もの試行錯誤を経て理想の味に辿り着き、現在は「二代目・土佐の塩丸」を日本全国に販売しています。
 彼らをここまで魅了する天日塩とは、私たちが日常的に使っている塩とは別物です。日常生活で使われる塩は工業的に作られる精製塩と呼ばれ、拓丸さんが作る天日塩とは、汲み上げた海水を、潮風と太陽の力のみで蒸発させた塩のことを指します。この過程で一切火は使わず、海辺に並ぶビニールハウスの中で、海水の入った木箱を毎日かき混ぜながら均一に塩を蒸発させるのです。数ヶ月もの歳月をかけてゆっくりと結晶化する塩は、カルシウム等のミネラルを約20%も含有しているため、複雑な味になり、風味が豊かでほのかな甘さを感じます。
 ただし、手作業が多いため大量生産には向いていません。「夏場はビニールの中が70度にもなりますが、暑い時ほど塩の変化が激しいので、微妙な変化を注意深く観察しながら、塩のお世話をしています」と語る拓丸さんは、自らを“塩守り”と呼んでいます。あくまで主役は海、風、太陽。そしてその贈り物である塩。ただひた向きに、真面目に塩と対峙し、手間のかかる製法で塩づくりに挑んでいます。
 「伝統的な作り方と思われがちですが、むしろ革新的な作り方です」と拓丸さん。天日塩は、メキシコやオーストラリア等の乾燥している地域や、雨期と乾期がはっきりしている東南アジアに向いている作り方。日本のような温暖湿潤気候では難しく、濃縮した海水を釜で煮詰めて作る生産者が多いそうです。日本では拓丸さんのような天日塩の作り方は難しく、手間がかかる。だからこそ、黒潮と日本ならではの気候から作られる貴重な天日塩を求めて、日本全国の本物の塩にこだわる料理人から注文が入ります。
 塩にこだわる料理人以外にも天日塩を知ってほしいと、天日塩づくり体験や塩を使ったエステ体験も行っており、国内外から多くの人が訪れているそうです。高知駅近くの飲食店では天日塩を使ったカクテルも人気で、料理人以外への認知も広がっています。カツオで有名な黒潮町では、天日塩が次の特産品として注目を集めており、いつか“塩の町”と呼ばれる日が来るのかもしれません。

【(有)ソルティーブ: https://siomaru.com/】

Chapter 03

持続可能な伝統漁法で日本一を目指す【一本釣りカツオ船・明神丸】

 カツオ一本釣り漁獲高日本一を誇る船団「明神丸」の歴史は古く、初代船頭・明神亀次さんが1959年にカツオ一本釣り漁業を始め、現在は大型船9隻、中型船10隻を有する船団です。全国の約40隻がカツオ一本釣り漁を営んでおり、船ごとの漁獲量を毎年競い合っています。競い合いは明神丸同士でも行われており、2012年〜2023年まで11年連続で明神丸勢が日本一として君臨。カツオ一本釣り漁の代名詞と言える船団です。明神丸は高知県近海だけで漁をしているわけではなく、3月から12月にかけて、南方のフィリピン沖から三陸沖までの広い漁場でカツオの一本釣り漁を行い、静岡県焼津や千葉県勝浦、宮城県気仙沼など全国各地の港に水揚げしています。
 2018年度日本一の座を獲得した「第123佐賀明神丸」の船頭・森下靖さんは、現役漁師として活躍しながら、明神水産(株)の取締役を務めています。「船頭とは20数人乗る船の社長みたいなもので、船に積む餌の量や、漁場の位置、水揚げする港の選定まで全てを決める」と語る靖さんは、GPS航法装置やソナー、海鳥探知機などのハイテク機器を活用しながら、経験と五感の全てを使ってカツオを探します。他の船と連絡を取り合い、同じ漁場に行くこともあれば、リスクをとって全く違う漁場を攻めることもあるそうで、同じ明神丸同士であっても、毎年日本一を目指してしのぎを削っているのです。
 カツオ漁は、一本釣り漁以外にも「巻き網漁」と呼ばれる漁法で漁獲されます。巻き網漁は大型の網でカツオの群れをぐるっと囲って獲るため、効率的で漁獲高の多い漁法ですが、一本釣り漁に比べて傷がつきやすく、品質が劣ります。それに比べて一本釣り漁は、一本の竿で一匹一匹を釣り上げるため、カツオの品質も良く、根こそぎ獲ってしまう巻き網漁と違い、資源を取り過ぎない持続可能な漁法です。
 しかし、靖さんは一本釣り漁に危機感を感じています。「明神丸を含めたほとんどの漁船が一族経営で、息子や親戚が船頭として後継者になる。この仕組みで事業を継続・持続していくのは難しくなってきているので、将来的には血筋関係なく、能力のある人間が上に立てる仕組みが必要です」。
 人手不足の煽りや、9ヶ月も地元を離れて漁をする生活から、別の道を選ぶ後継者も多く、これまでの家族経営から企業経営にシフトする必要性を感じています。学生の頃は数学教師を目指していた靖さんは、数年後には船を降りて、教育を軸に経営に携わりたいと考えているそうです。海洋環境に優しい、日本が誇る伝統漁法「土佐カツオ一本釣り漁業」。靖さんは、この伝統を残すために明神丸の将来を見据えて挑戦を続けていきます。

【明神水産(株): http://www.myojin.co.jp/】

Chapter 04

本場土佐流を全国に【藁焼き鰹たたき・明神丸】

 明神丸は漁業以外にも、飲食店経営という別の顔も持ち合わせています。(株)明神丸は直営飲食事業12店舗を運営し、自社で漁獲された新鮮で質のいいカツオを「藁焼き鰹塩たたき」として提供する人気の飲食店。代表取締役を務めるのは、船頭・森下靖さんの兄である森下幸次さん。自身も12年の漁師生活を経験し、古くから土佐に伝わる「藁焼き鰹塩たたき」を全国区にした先駆者です。一般的にカツオのたたきはポン酢で食べますが、明神丸では、カツオを藁焼きにして黒潮町の天日塩で食べる本場土佐流の食べ方にこだわっています。藁焼きは、高温で一気に表面を焼いて旨みを閉じ込め、カツオの皮が香ばしく、藁特有の香りによって風味豊かになることが特徴です。燃焼温度が約1000度まで達し、大きく燃え上がる炎はパフォーマンスとしても人気で、見る人を楽しませます。
 幸次さんは、高知駅近くにある「ひろめ市場」に出店した「藁焼き鰹たたき・明神丸」第1号店の店長を経験し、飲食店の規模を拡大させてきました。元々は加工したカツオの販売促進のためのお店で、飲食店を拡大するつもりではなかったそうです。高校を中退し、17歳で漁師になったことから、これまでビジネスの経験が全くなく、明神丸のスタッフにも飲食業界経験者は皆無。料理や店舗運営のノウハウもなければ、厨房設備も不十分な中でスタートした飲食店は、苦労が絶えず順風満帆にはいきませんでした。そこで看板商品のカツオを注文後に藁で焼き始める「焼き切り」に変更し、ガラス張りの焼き台で炎をあげるパフォーマンスにしたところ、人目を引き集客につながり始めます。さらに、ポン酢や塩だれなど試行錯誤の結果、黒潮町の天日塩だけを使うシンプルな味付けに。これが功を奏し、開業から3年の開発期間を経て「藁焼き鰹塩たたき」が人気商品となりました。当時の高知県では、カツオの藁焼きは家庭で食べるものであって、カツオの藁焼きを提供する飲食店はほとんど無く、天日塩で食べる塩たたきも一部の地域だけで食べられる伝統料理だったそうです。こうして明神丸の「藁焼き鰹たたき」はひろめ市場店で人気となり、メディアにも掲載されたことで、飲食店拡大の礎となるのです。
 「明神丸では、良質な炎をあげる国内産の藁を使用しています。農家の高齢化もあり、この藁の確保が難しくなったため、農業事業の明神ファームを立ち上げて自らお米を作り、良質な藁の確保に取り組んでいます」。明神丸では今後、この明神ファームで収穫された米とカツオを使った新しい業態への挑戦を考えています。高知県の小さな港町にある一隻の漁船から始まった明神丸。日本中にカツオの美味しさを伝えた立役者のこれからが楽しみです。

【(株)明神丸: http://myojinmaru.jp/】

 黒潮の恩恵を受ける地域は、それぞれの歴史や気候によって個性豊かな食文化を生み出してきました。ここ黒潮町では塩とカツオの伝統が残されており、現代的なアプローチで変化を加えた結果、訪れる人々に新しい驚きと感動を与えています。歴史や文化の文脈に沿って、新しいものを少し足してみたり、組み合わせてみる。こうした試みが、地域の価値を再発見する秘訣なのかもしれません。
文・小笠原 怜士