Model case 07

蔵人になれるまち。 酒蔵での本物の酒造りに参加できる新しい酒蔵ツーリズムが、 日本酒の価値を向上させる

"江戸の蔵人(くらびと)が
寝泊まりした施設"を「再編集」。
唯一無二の蔵人体験サービスを創造

株式会社KURABITO STAY 田澤麻里香 協働パートナー 橘倉酒造株式会社 井出平

創業330年の酒蔵の敷地内に滞在し、酒造りが体験できる世界唯一の日本酒ツーリズムがあります。長野県佐久市にある橘倉酒造㈱で、かつて蔵人が寝泊まりしていた築100年の宿舎をリノベーション。地元の日本酒や美味しいごはんを味わいながら滞在し、実際に商品として販売される日本酒の醸造過程に蔵人として参加できるのです。日本酒好きなら一度は体験してみたい特別なプログラムは週末限定で実施され、2020年3月開業以来、リピーターも出るほど人気です。 このプログラムを発案し、運営を担う㈱KURABITO STAYの田澤麻里香社長は、日本酒ツーリズムや酒蔵の新たなブランディング、そして関わる人皆が幸せになれるツーリズムの実現を目指しています。

Chapter 01

子育てをしながら自分らしく仕事をしたい。 地元の活性化にも貢献する 新しいビジネスモデル

田澤麻里香社長は長野県佐久市の隣、小諸市の出身です。大学卒業後、大手旅行会社に入社。主にヨーロッパツアーを担当し、企画から手配、添乗まで全てを経験、ツーリズムのプロとしてキャリアを積みました。その後、ワインインポーターでの営業を経て、結婚、出産を機に一度退職。お子さんが1歳になったころ復帰を検討しましたが、保育園に入園出来ない現実に直面したのです。
「子育てをしながら女性が働き続けることに、寄り添いきれていない社会を見て“これじゃ絶対だめだ”って思いました。小さい子供がいても、女性がそれぞれの特技を活かしながら働いて幸せになれるような環境や職場を、自分で作りたいという思いが芽生えたんです。」と語る田澤さん。そんな時に、小諸市が日本版DMOといわれる、観光地域づくりを通じて地域を活性化させる観光局を作ることになり、田澤さんは前職の経験から、運営メンバーとして採用されました。
DMOで地域と関わり、ツアーや体験プログラムを企画する中で悩んだのが地域の「強み」についてでした。果たしてブランディングできるほどのオリジナリティとは何か? そして行き着いたのが日本酒だったのです。田澤さんはかつて仕事で訪れたフランスの人々に、「日本にはSAKEという素晴らしい食文化があるのに、なぜワインに憧れて、日本酒にもっと誇りを持たないの?」と聞かれたことがあるとのこと。アイデンティティを大切にすることを日本人は忘れてしまっているな、と気付かされた経験でした。
田澤さんの発想は広がります。「この地域では酒造りが350年以上前から行われています。世界で日本酒ブームも起きていて、インバウンドを呼び込むための国の補助金も増えています。酒蔵見学は全国どこでもできるけれど、本当に商品になる日本酒の仕込み体験ができて、酒蔵の中に蔵人の疑似体験をして泊まれるところはありませんでした。これは世界初の日本酒ツーリズムができるぞ!って。」。
そして2019年、田澤さんはビジネスプランコンテスト「みんなの夢AWARD」で2千人を前にプレゼンし、見事グランプリを獲得。2020年3月、「クラビトステイ」はスタートしたのです。

Chapter 02

参加する人も、働く人も幸せになる ツーリズムの実現を目指して

宿泊施設となる場所を提供してくれたのは、佐久で330年以上の歴史を持つ橘倉酒造㈱でした。井出平社長とは、こもろ観光局時代に知り合い、退局後も酒蔵の営業のお手伝いをしながら関係性を築いていました。田澤さんからの申し出を井出社長は快諾。20年前まで蔵人が寝泊まりしていた橘倉酒造の築100年の建物が、現在の「クラビトステイ」となりました。
「成功できるかは不安でしたよ。」と笑いながら井出社長は語ります。
「ただ、日本酒の消費は50年前をピークに下がり続けていて、非常に危機感を覚えていたんです。そんな中この試みは当社にとっても、地元の飲食店さんや地域の皆様へ貢献できる、そして人流の創出も目指せる、このようなビジョンに非常に共感を持つことができました。」
宿舎は田澤さんが、約2千万円をかけてリノベーション。1階には実際に使われていた大きな木桶の蓋を円卓として再利用したリビングテーブルを作り、宿泊者が円卓を囲みながら集いあえる場としました。2階の個室はあえてシンプルな造りにすることで職人として酒造りの世界に浸れるようになっています。
プログラムの料金は2泊3日の場合、食事代を含め74,800円(税込)。ここには田澤さんの強い思いが込められてます。
「私が旅行会社で仕事をしていた時、社会がひどいデフレになりました。旅行会社同士で値下げ合戦をしてツアー料金が暴落しました。記憶に残る商品は、パリ5日間5万円など(笑)。そうなると当然、ツアーの質が落ちるんです。すべてのお客様が「安かろう、悪かろう」では納得しない。お客様からのクレームも増え、現場のスタッフ皆が疲弊してしまう。最悪な場合、旅の安全性すら損なわれてしまう。その時、こんなことを続けていたら誰も幸せにならないと強く思ったんです。だから私たちは1時間滞在してくれる人を100人じゃなくて、100時間滞在してくれる人1人に出会うことをコンセプトに、地域のブランディングをしようと決めたんです。」。
「クラビトステイ」は唯一無二の企画となり、日本酒をもっと知りたいと思う人の予約でいっぱいになりました。参加者は、20代から70代以上までと年齢層も幅広く、ひとりで参加する女性が多いのも特徴的です。

Chapter 03

型破りの体験ツーリズムが 日本酒の味も向上させた理由

肝心の酒造りへの参加は本格的です。井出社長や井上嘉正杜氏の指導の下、同社の実際に商品として販売する日本酒やスパークリング日本酒、麹でつくる甘酒の醸造過程に参加できるのです。どの作業をするかは参加する季節によりますが、酒蔵での作業は楽な仕事ではありません。それにもかかわらず、アンケートによると体験後の満足度(7段階評価)は100%だといいます。
「蒸したお米を掘って、担いで運んでの重労働です。でも皆さん、それをやりたくて来てくださって。蔵元側も“働いてもらってお金もらっていいのかい?”って恐縮するんですが(笑)、皆さんは“もっとやりたい!”んです。」(田澤さん) 女性ならではの視野を活かし田澤さんのアイデアで生まれた、蔵と宿舎をガラス張りでつなげる空間も、酒蔵の従業員とツアーに参加するお客様の距離をより身近に感じさせています。夜も蔵の雰囲気を感じられ、井出社長も混じって円卓で美味しい日本酒を飲みながら参加者同士が交流する時間は、懇親が深まるだけでなく日本酒の未来の可能性に熱い思いが集まります。
体験者だけでなく、酒蔵にも大きな効果を生んでいます。
「当初はもちろん、従業員にも戸惑いはありました。しかし、見られることで今まで知らず知らずにおざなりになっていた作業も丁寧になってくる。そして実際お客様と出会うことで、製品をより良くしようという気持ちになるんです。この取り組み以来、当社の日本酒の質も向上し、現在は賞もいただけるようになりました。」(井出社長)
現在、「クラビトステイ」の体験は基本的に週末に行われています。中心となるスタッフは田澤さん以外に地元の方が4名勤務しています。宿の清掃から、地元の食材を使い発酵食を取り入れた朝ごはん作り、英語の通訳など、それぞれが得意分野を生かしつつ、全員で運営しています。まさに田澤さんが思い描いていた、子育てをし、自分や家族との生活を大切にしながらも、短時間でも労働生産性を高めて稼ぐという働き方を実現させているのです。

田澤さんは様々な地域のプレイヤーを巻き込みながら、新時代の日本酒ツーリズムを長野全体に、そして日本中に広めていきたいと考えています。夏は自然、冬は酒造りと長野だからこそできる魅力でもあります。
「日本の酒蔵の多くは職人気質な経営者が多いようで、あまり積極的に自社の魅力をアピールしません。でも例えばフランスのワイナリーは、ツーリズムにとても熱心です。中間業者を通さないので100%の値段で直接、消費者に商品を買ってもらえますし、なにより訪れてもらうことで何らかの経験、体験を通して、自社や商品のブランディング、プロモーションをできるツーリズムがメーカーにもたらす有益性を知っているからです。」
世界でも類まれな、繊細な醸造工程を経て生み出される日本酒。ツーリズムという視点でこの奇跡の酒を発信する試みは、日本酒の価値と魅力を世界に伝える強力な手段になるのではないでしょうか。
文・大木淳夫  編集・北真理子

【KURABITO STAYホームページ: https://kurabitostay.com/about/
【橘倉酒造ホームページ: https://kitsukura.co.jp/