平安時代から続く千年変わらぬ日本の原景色と文化に包まれ、野趣・滋味に溢れる摘草料理を食す
京都から車で小一時間。険しい山道を進んだ先、京の奥座敷と呼ばれる花背(はなせ)地区に、ひっそりと佇む一軒の宿があります。美山荘という名を持つその宿は、1895年に峰定寺の宿坊として創業されました。 料理人自らが野山に入り集めた野草、山菜、そして鮎やアマゴなどの川魚、野鳥、猪、鹿、熊など野趣溢れる料理を味わい、数寄屋造りの名工・中村外二が手掛けた建物に包まれながら、私たち人間がまさに時を遡り、古来日本の山里生活に戻ることができる場所。 ここ美山荘では、俗世を忘れる特別な時間を、五感全てを使って堪能することができるのです。
100年以上の歴史と四季折々の自然が 凝縮された唯一無二の“摘草料理”。
美山荘は京都から車で険しい山道を小一時間ほど進んだ場所にあり、周囲は森林や小川など、見渡す限りの豊かな自然に囲まれています。そのような立地にもかかわらず、常に1年以上先まで予約が埋まるほど多くのリピーターや観光客から愛されている理由とは。
「何でこんなところにあるんだ、と少し怒りながら来るお客様もいるんです」と笑顔で語るのは、4代目当主の中東久人氏。子供のころから豊かな自然や食材と触れ合い、高校卒業後に渡仏。三ツ星レストランなどでの修行を経て、26歳で美山荘を受け継ぎました。美山荘は平安時代に創建、後に再興された峰定寺の宿坊として1895年に創業。ここでしか味わえない“摘草料理”は、その当時から提供され、100年以上にわたり進化してきたものです。
「本格的な料理旅館としてスタートした昭和初期に摘草料理という名前を付けました。次第に、面白い料理がある、ここに来る価値がある、と人気になって、文化人や作家、海外有名シェフなどのお客様も来られるようになりました」。
摘草は平安貴族の遊びとして、季節ごとに採れる野草で自然の移り変わりを楽しんでいたもの。それを独自の料理のスタイルとして取り入れ、今では日本のみならず世界からも注目されるようになっています。では、その摘草料理の真髄とはどのようなものなのか。
「自然と文化をどう表現するか、ということだと思います。自然を自分の体・精神に取り込み、その自然を体感し分析し理解したのち、再度、目の前の自然に当て嵌める。それがピタッと嵌らなければ、自分自身の理解が間違っていると考え、再度、分析し当て嵌めるという事を繰り返し、この地の料理を考え出しているのです」。
”こうあるべき” ではなく、 お客様の感受性にお任せする。
「自然の中での味わいと向き合うのが、私の人生そのもの」と言う中東氏。スギの植林などにより落葉樹が減りつつある日本の自然環境をどのように捉えているのか。
「日本中の山で、本来の自然というものが減少していると感じています。その要因の一つが、畑を荒らす害獣。それは山奥に鹿などの食べ物が減少しているからであり、その要因を造ったのが人間です。本来、里山は人が住む場所と動物が住む場所がきちんと分かれていましたが、人は本来の自然を壊し、山から動物たちの餌を減少させてしまいました。
人間の手によって変貌した自然は、人間が、また元に戻してゆかなくてはなりません。ですから美山荘では、独自にフェンスを張り、その中で、昔から地元にあった野草を育て、増やしてゆく事を2015年から行っています。 今では、フェンス内に30種近い野草が本来の成長を見せています」。
そして摘草料理とともに、美山荘の“気づかいすれども、おかまいせず”というおもてなしを担い、2022ミシュランサービスアワードにも選ばれたのが、女将の中東佐知子さんです。「人生の中に美山荘がある」と語るように、25年以上を美山荘で過ごしてきました。
「“気づかいすれども、おかまいせず”というのは、お客様にゆっくり休んでいただくことが一番大切だと考えているからです。こうあるべき、ではなく、全てお客様の感受性にお任せする。でも、お客様の事は、どこに居ても、何をしていても常に感じ・意識しており、お客様の気持ちを〝汲む″という事を心掛けております」
こうしたおもてなしに加えて、美山荘は一見のお客様をお断りしません。それは、より多くの方に愛されるためであり、こうした場所で過ごす人が多くなってくれることが、自分たちの嬉しさにつながるから。全ては、いつも私を支えてくれる先代女将から受け継いできたものだと、佐知子さんは話してくれました。
当主と女将が力を合わせて目指すもの。それは、花背に残された日本古来の景色や文化の素晴らしさを現代に適応させながら、さらに次世代に向けて進化させていくことなのです。
古くからの自然の魅力と恵みをそのままに、 地域と連動した“花背ブランド”を世界へ発信。
美山荘の次世代に向けたキーワードは、「地域との連携」と「ブランディング」の2つ。中東氏は、地域の方々と連携し、スキー場や休耕田を利用した山ぶどう・フキの栽培を始めました。そして、それらの収穫物を加工する工場の建設も進めています。同様に美山荘の敷地を活用した山菜農園も構想していますが、こちらは関西の幾つかの大学とのコラボレーション。山ぶどうをさらに美味しくするための方法(土の性質を変化させる)などを研究しているところです。
もう一つのブランディングにおいては、花背をアピールするためのブランディングラボを創設し、上記で栽培した食材や祇園祭りで使用する香りの良いちまき笹などを花背ブランドとして強調し販売していくことを計画。数年後には、日本各地の消費者に「花背の食材ですね」と言ってもらえるようなマーケティングを目標としています。こういった活動は、過疎化してゆく里山での仕事や魅力を増やし、地域の活性にも繋がると中東氏は考えます。
「日本には四季があり、古人たちは、旬の食材を始めとした様々なもので季節の移り変わりを楽しんでいました。旬の食材は心の豊かさをも育む―何を食べているかで人間性が変わってくると、私は思っています。これからは、花背地区における持続可能な食のシステムを、他の本当に小さい里山に普及させ、世界へ発信していきたい。小さい里山は、人の手による開発が進んでいない為、日本古来の魅力がたくさん詰まっています。 そして地域や他の団体・組織と協力しながら進化させ、日本の里山の魅力をアピールし、そこに身を置く心地良さを、より多くの人に体感して頂きたい。国土の7割近い山林の有効利用は、きっと将来の日本を豊かにするはずですから」。