日本酒の未来を醸す
「守るべき伝統、という価値観に縛られすぎると、動けず、停滞してしまいます」と話すのは、富山県・桝田酒造店の5代目当主、桝田隆一郎さん。桝田さんはドンペリニヨンの5代目醸造最高責任者を務めたリシャール・ジョフロワ氏が手がける画期的な日本酒「IWA」プロジェクトのコラボレーターでもあります。1000年の歴史を持つ日本酒について、桝田さんは「ブランド力と戦略性の欠如」という課題を感じてきたといいます。常に「今、私がやるべきかどうか」という判断で動き続けてきた取り組みは、日本酒に新たな価値観を吹き込んだ「IWA」、アーティストやブリュワリーなど個性的な店が立ち並ぶ地元・岩瀬の美しい町並みへと結実しています。
ドンペリニヨン醸造最高責任者が醸した 画期的な日本酒ブランド
1000年以上の歴史を持ち“SAKE”として世界でもポピュラーな日本酒。2020年、富山県立山町白岩で新たなブランド「IWA」が誕生しました。手がけたのはドンペリニヨンの5代目醸造最高責任者を28年務めたリシャール・ジョフロア氏。リシャール氏は酒米の異なる原酒、ワイン酵母で発酵させた原酒などを十数種類ブレンドする“アッサンブラージュ”という手法を導入。
「フレーバーや温度帯が変化しつつも、最初から最後までずっと飲み続けられる。まさにドンペリニヨンをブレンドした舌で生み出された日本酒です」と話すのはこのプロジェクトの仕掛け人であり、桝田酒造店の5代目当主、桝田隆一郎さん。
リシャール氏が「残りの人生全てを日本酒に賭けたい」と全国数十カ所の酒蔵を巡った末に選んだのは立山連峰を望み、清らかな水が流れる10ヘクタールの稲田のあるこの地でした。「ここには、日本ならではのハーモニーを感じる」と彼は評したそうです。
酒蔵はリシャール氏と桝田さんの縁を取り持った建築家の隈研吾氏による設計によるもの。黒のボトルはプロダクトデザイナーのマーク・ニューソン氏がデザインしました。「ストレートで強いアイコン。どこに置かれてもIWAだとわかる佇まいです」(桝田さん)。
桝田さんはリシャール氏の「日本酒にはこんなにポテンシャルがあるのに、君たちは売れないところにしかアプローチしていない」という言葉に深く納得した、と振り返ります。「日本人は日本文化や日本食は良いものである、という価値観に凝り固まりすぎています。実際に日本の食文化が世界でどう評価されているのか、耳の痛い話を聞かなければ。そうでないと魅力あるものは作れません」。桝田さんはこれまでにもワイン樽やワイン酵母で仕込んだ日本酒、シーバスリーガルとのコラボなど革新的な試みを実践してきました。そこには「伝統に縛られると身動きできなくなる」という危機感があったといいます。
伝統やこれまでのやり方に 囚われることこそが思考停止である
現在、国内の日本酒出荷量はピーク時の4分の1に減少、一方、リキュールやウイスキーの出荷量は増加しています。
「業界がものを考えずにきた結果だと捉えています。“日本酒といえば辛口でキレがあるもの”という価値観も今や過去のもの。日本の家庭料理もワインが合うものへと変化し、海外の人も味噌汁を飲むようになり、世界的に味覚の変化が起こっています。日本食が人気と言ってもロンドンやパリに東京のようなお寿司屋さんや割烹があまりないのはなぜか? 需要がないからです。そこにどんな問題があるのかを掘り下げ、解決しなければいけません」(桝田さん)。
日本酒に足りないのは、ブランド力と戦略です。精米歩合で値段を決めているけれど、どうして味で決めないのか。お客さんが訪れて心を震わせるような土地に酒蔵を作らないで、相手を感動させられるわけがない――リシャール氏の指摘はまさに、ブランド力と戦略の必要性を示していました。
歴史ある酒蔵ゆえの「伝統」との葛藤はないのでしょうか。
「一切ありません。むしろ、守るべきものって本当にあるの? といつも思います」と桝田さんは話してくださりました。「何百年も装ってきた着物も畳文化も、朝食のスタイルも、日本人はいとも簡単に捨て去ってきています。私は何をやるにあたっても、守るべきだからやらないでおこう、とは思いません。囚われることこそ思考停止につながるからです」。
かつてウイスキーの樽で日本酒をつくったとき「日本酒の本質が崩れるのでは」と指摘されたことも。「じゃあ、本質って何? 誰がそれを決めたの?と思うんです。面白いと自分が思えばそれでいい、と判断しています」。
IWAを作る工程では、リシャール氏の求める日本酒の実現を全方位でサポート。完成されたレシピを持たず進化し続けるIWAの最新版では30種類の日本酒がアッサンブラージュされているそう。現在、世界20カ国以上で愛されるブランドへと成長しています。
蔵元は地域をとりまとめるポジション。 日本再生の発信地になりえる
桝田さんは「岩瀬まちづくり」という景観保全の会社の代表も務めます。かつて北前船の交易で栄えた港町の面影を残す建物が並び、ブリュワリーや割烹、フレンチ、ガラス工房が軒を並べる岩瀬地区は散歩するだけでも心躍る町。食通からも注目されています。「ヨーロッパ留学から帰国した20代のとき、外からの目で日本を見たのです。電車の窓から写真を撮りたいシーンが一つもなかったことに愕然としました」。
自分や家族が暮らす町を誇りに思える町にしたい。町並みの再生にあたり、自らの役割を「ワンストップ相談所」と称する桝田さん。
いろいろな人が相談に訪れるたび「この人が幸せになるにはどうしたらいいのだろう」と考え、空き家を買い取り、改装まで手掛けています。「蔵元は地域をとりまとめるポジションにあります。100年以上の歴史を誇る蔵元が日本には1000数百社あります。蔵元の取り組みが日本を再生するきっかけになるかもしれません」。
また、ボルドーやブルゴーニュなどのワイナリーを巡ると、みな口々に地域を自慢し、「特産のこの食べ物にこのワインを合わせるといい」と話してくれることがとても楽しい、とご自身の経験から話してくださりました。
「海外の人が日本を訪れたときにも、彼らの心を鷲づかみにする土地の魅力やストーリーが必要です。ストーリー作りにはイタリアワインの復活がひとつのお手本になる」、と桝田さん。「昔から作っていた品種のブドウを復活させてワインを作る取り組みをした結果、イタリア全土の醸造者が自信を持ち、個性が花開きました。これこそ、日本の蔵が進む道だと思うのです」。
桝田さんの周囲に集まる若い蔵元やシェフは向上心とジェラシーの塊で、みなが助け合い切磋琢磨しています。その姿がなにより心強い、と思っています。「地方はいいですよ。少数の力で変えられる。広大な地があり、インフラ整備も整っている。世界の人を魅了する可能性が山ほど眠っています」。
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