歴史と伝統を紡ぐ「虎屋」の目指す未来
創業の室町時代後期から500年の長きにわたり、日本の和菓子の歴史と文化の伝承を担ってきた「虎屋」は、日本のみならず世界にもその名を知られる老舗です。後陽成天皇の御在位中(1586~1611)より御所の御用を始め、古くから「虎屋」を愛するお客様の要望に応える一方、海外進出や、その味わいや魅力をより広く知ってもらうための新しい和菓子の展開も行ってきました。 「虎屋を継ぐこと」を目標に、高校時代からアメリカへ留学し、和菓子の製造現場やパリ店での勤務、他社での貿易業務等の学びなど数多くの経験を積み、2020年に満を持して社長に就任した18代・黒川光晴氏に「おいしい和菓子を喜んで召し上がって頂く」という経営理念をはじめ、老舗ならではの伝統の継承や、将来を見据えた攻めの戦略など、様々な取り組みについて語っていただきました。
日本の食文化の 伝統の一翼を担う和菓子
伝統的な日本の「食」の世界において和菓子は、その味わいはもちろん、季節の花鳥風月などを映した美しい意匠や菓銘(菓子の名前)を含め、文化の担い手でもあります。また、植物性の素材を使用したヘルシーなお菓子として、世界からの注目度も上がってきています。
「和菓子は、わずかに卵を使う場合があるものの、ほとんどが豆、砂糖、寒天など植物性の原材料で作られています。また、虎屋では厳選した天然の素材を使用していることから、天候などの影響による素材のでき具合などが菓子の良し悪しにつながるため、自然との結びつきの深いものでもあります。一年を通して、その時の旬の食材を生かすだけでなく、和菓子は季節を少し先取りして表現するという特徴があるため、店に桜をモチーフにした菓子が並ぶと『これから桜の季節だな』……とか、新栗がでてきたことで秋を感じるなど、ただ食べておいしい、というだけでなく、季節の移ろいを感じ取っていただけるのが和菓子の個性であり魅力です」と黒川氏が話す通り、和菓子は日本の食の魅力を象徴する、ひとつの文化といえるでしょう。
「さらに植物性の素材が主であるということから、昨今さまざまなシーンでお使いいただいています。特に、当店の代表菓子である煉羊羹は、添加物なども使用しておらず、高糖質・低脂質という特徴がありエネルギー補給に適していることから、プラントベースの食品としてスポーツ選手にご利用いただいていたり、また、常温で一年も日保ちするという保存性の高さから、災害対策用の非常食として注目されている面もあります。お客様に安全安心においしく召しあがっていただけるように、原材料をはじめ、菓子づくりの全工程からお客様に届けするまで徹底した商品管理を行ない、品質保持に努めています。」。
常においしいお菓子を作ることを追及している虎屋ですが、たとえば海外の方々に、また日本でもまだ和菓子に親しみを持っていない人々に受け入れてもらうためには、工夫も必要とのこと。「素敵だね、かっこいいね、と思ってもらうことも、とても大切だと考えています」と語る黒川氏。本当によいものであればこそ、その魅力を広く様々な人に注目してもらい、理解してもらうためにどのような見せ方、打ち出し方をするかを常に意識しなくてはならない。そういった面では、上手な表現や発信の仕方など、海外の方から多く学ぶことがあるそうです。
継承するために、 あえてチャレンジすること
伝統と文化を守り伝えることは、500年続く企業にとって大切な部分でもありますが、チャレンジが必要なこともあります。「虎屋にとってこれまでで、一番大きな変革は、明治時代に、創業の地の京都から、遷都にともなって東京にも店を構えたことです。これは12代の決断でしたが、現代社会で海外に進出するよりも、はるかに大変なことだったと思います。これまで京都で300年以上商いを続けてきただけに、新しい土地で仕事を始めることへの不安は大きかったと思います」直接話を聞いたわけでも、詳細な記録が残っているわけでもないものの、長年御所御用をつとめてきた老舗にとっては、大切なお客様の近くにいて、これまでどおり御用をつとめたいという思いがあったのだろうと、黒川氏は当時の店主の葛藤と決断に思いを馳せます。
その後、1980年にパリに出店しましたが、現在ほど日本の食文化はフランスに浸透しておらず、羊羹を黒い石鹸と間違われるなど、食文化の違いを痛感したそうです。オープンから数年経った後、現地フランスのお客様に向け、羊羹に海外の方に馴染みのあるフルーツを取り入れることや、喫茶のメニューに動物性の食材を取り入れるといった新しい取り組みを行ない、徐々に和菓子、そして日本文化が根付いていったそうです。そのパリ店の40周年の記念には、フランスのパティスリー「ピエール・エルメ・パリ」の代表作、イスパハンを和菓子で表現するというコラボレーションを実現させましたが、そのようなチャレンジも果敢に行なっています。このようなチャレンジは、虎屋の職人にとって大変意義のあることのようです。新しい菓子を創作するということは、新しい原材料にチャレンジし、新しい製法・技術にもチャレンジすることにもつながる。そういうことの積み重ねが職人の知識や技術を向上させるといいます。
おもしろい例として「以前、海外でカリフォルニアロールを食べたときは、これは寿司ではない、と思った時もあったんです。でも、そういうものがあって、多くの人が寿司に興味を持って触れる機会が増え、やがて海外から本物の寿司を求めて日本にいらっしゃる人もいる。結果としては寿司そのものの知名度も、海外で提供される寿司のクオリティもとても高くなったわけですよね。今は、世界中の人々に好きなスタイルで和菓子を楽しんでいただきたいと思っています」と話します。和菓子は、世界の垣根を越えて人々が交わるための、大切なコミュニケーションツールであるという思いが、そこにはあるのです。
500年紡いできた歴史を 次の500年につなげるために
伝統を重んじる和菓子の世界にあっても、古いやり方を貫くことばかりが大切とは言い切れません。「大切なのは、守ることとチャレンジすることのバランスだと思うんです。原材料では、たとえば小豆ひとつとっても、これまでは品質の高い国産のものを使用してきました。その品質は、日本ではたくさんの需要があるからこそ磨かれてきたものです。また、日本人の気質として、収穫後の選別などの扱いの丁寧さや細かさなどもその品質の高さを裏付けている部分もあります。しかし、一方で気候の変動など様々な要因で、主たる産地が変わってきていることもあり、さらには輸送手段なども発達していることも含め、今後は海外で生産したものが、国産のものと変わらないばかりか、それ以上よいものになる可能性も充分にありえると思っています」と柔軟な考えを示します。
小豆の新品種の開発には、10年単位の時間がかかるそうです。そこには、10年先も、変わらずおいしいものを作り続けるための情熱があるのです。もちろん時流により、お菓子の甘さや味など、人の嗜好は時代によって変化します。その変化を敏感に察知し、どのようなお菓子をお客様が求められているのかを見極める必要もあります。「コロナの影響で、実際変わったこともありました。しかし2年や3年そこらで大きく変わるものではない」。食の根本的な部分などはもっとゆるぎないものだという思いには、歴史と文化を長く紡いできた老舗ならではの重みがありました。
経営については「例えば、短期的に大きな利益を得て、5年で売り抜けるという形もあります。それはそれで、もちろんひとつのやり方だと思います。ただ、虎屋は違う。愚直に菓子を作り続け、伝えていくべき技術を守るためにも、これから30年、50年先にも同じことができるか、継続することができるかと考えて取り組んでいます。ひいては、これまで500年続けてきたことを、次の500年続けられるか、ということが大切なのです」と話します。お客様のニーズや時代に合わせた微妙な変化を加えつつも、ぶれない軸を持ち続けることが大切だというのが黒川氏の今の思いです。