日本の里山文化の可能性
東京・南青山「NARISAWA」のオーナーシェフ・成澤由浩氏は、日本が世界に誇る料理人であり、数々のイノベーティブな料理を生み出す表現者でもあります。 人と自然が共存する日本の「里山文化」に20年ほど前から注目。里山の豊かな食文化と先人たちの知恵を探求し、料理で表現する唯一無二の料理、"イノベーティブ里山キュイジーヌ"という独自のジャンルを確立。自然への敬意を込め、心と体に有益で、環境に配慮した持続可能な美食、“Beneficial and Sustainable Gastronomy”を発信し続けています。 成澤氏は国内外での様々な活動やメッセージを通して、里山文化を守りながら、”食”のあるべき未来への一歩を模索し続けているのです。
里山文化との出会いで 唯一無二の世界的レストランへ
成澤氏は日本でキャリアをスタートした後、渡欧。いくつかの国で修業し、帰国して開業しました。‘18年には「国際ガストロノミー学会」の最高位Gran Prix de l’Art de la Cuisineを受賞。ミシュランと並び、世界のレストランシーンに影響のある「ワールド50ベストレストラン」の座も‘09年以来現在まで13年間守り続け、世界のトップシェフとしての存在感と革新性を高めています。
「料理人が先ずするべきことは、自然から食材が生まれるその現場へ行くことなんです」。成澤氏は25年以上前から休みの日には日本各地の畑や海に出かけ、現地の生産者や漁師などと交流を深めてきました。そして、彼らを悩ませている自然環境の悪化には現代人の生活習慣の変化が深刻に影響し、水や空気などの源となる森の減少が大きな原因だと知りました。本来、日本人は森の資源を活用し、知識を深め、植樹や手入れをして森の環境維持や改善をして生活してきました。人は自然に寄り添い、人も自然の一部であるという"自然じねん"の精神です。その人と自然が接する場所、それがいわゆる"里山"。そこで必然的に生まれる生活習慣や知恵が「里山文化」です。
「ここに生きる人たちが持っていた知識、生活の知恵はとてつもなく深いんです。豊かな日本の里山の文化は自然に優しく、その食文化はどれだけ心と身体にとって有益かを、まずは日本人に伝えないといけないし、世界にも発信することができると思うようになりました。」この里山文化を料理で表現するには既存の料理ジャンルを越えて、多種多様な四季折々の素晴らしい自然の恵みが最も生きる技術を使えばいい。自らが学び、進化させてきた手法を駆使し、NARISAWAのフィルターを通して見たことも無い料理に仕上げよう。それこそが自らの使命ではないか? こうして世界を驚かす料理“イノベーティブ里山キュイジーヌ”が誕生したのです。
「土のスープ」で食の安全性を表現する
その代表的な例が「土のスープ」でしょう。長野で出会った安全で滋味豊かな無農薬野菜を作る農家さんの土が食の安全、安心の象徴であると、成澤氏は感じました。土にも旬があり、生物が寝静まっている真冬が土を美味しくいただける季節となります。この土と土の中にある根っこのように細いごぼうと水だけで作るスープ。それだけなのですが、自然の甘みや旨味が生まれるのです。
「NARISAWA」の料理を愛し、熟知する辻調グループ代表の辻芳樹氏は、初めてこのスープと出会った時の驚きを率直に語ってくれました。「おそらく10年ぐらい前でしたが、まわりの人に聞いてもすごく賛否両論でした。驚かせるために生み出しているのではないですが、「びっくりした」という言う人もいれば「何を考えてるんだろう」「昔のおいしいものを作ってくれりゃいいのにな」という人もいたんです。そんな中で成澤さんにすごくシンパシーを感じている人たちは、この人は何を訴えようとしてるのかと、食べ手としてより真摯に考え始めたんですよ。」
成澤氏は、食の安全性を表現するためにこの料理を作り上げたと言います。一切の農薬も肥料も使わない野菜を生み出す土。その土そのものを食べてもらうことができれば、メッセージとして伝わるのではないかと。
「もちろん僕ら料理人は全ての人に「おいしいね」って言われたらベストですが、このスープって、10人いたら半分ぐらいが「なんだこれ、泥を食べさせるのか」って。残りの半分は「ああ、なんの材料でできていたの?」くらいの感じでした。ところが2004年に、あるイタリア人のピアニストがそれを食べて泣き出されたんです。説明はいらない、って言いだして。その時ですね。あ、これはありなんだなと。料理でメッセージを伝えられるんだ、そういう役割が料理人としてできるんだ。と気づいたんです。」
日本の素晴らしさを 世界に発信し、行動する
‘09年には、成澤氏はサンパウロのサスティナビリティをテーマにした学会に招かれ、講演をしています。「当時は日本、特に飲食業界ではまだまだ環境という言葉に問題意識が無いに等しかったんです。でも世界では、南米、北欧を中心に自然の危険な変化に気づいていました。僕がそこで発表したのは日本の素晴らしさです。山と海があって、海岸線の長さは世界で六番目。こんな小さな島なのにアメリカよりも中国よりも海岸線が長いわけです。ほんのわずかなスペースだけれど、自然と深く関わりあっている。自分の中ではそれが誇らしくて。ですから里山文化が持つ持続性、そしてベネフィシャル、有益性ですね。そこを伝えながら、東京の風景だけが日本ではなくて、もっともっと素敵な生活文化があるんです、そこからみんなが好きな天ぷらや寿司も生まれてきているんです。ということを発表したんです。」成澤氏は14年ほど前から毎年、世界のトップシェフたちと環境を含め様々な社会問題に対して食を通して解決できないか、活発に意見を交換してきました。
コロナ禍にあってもその活動は止まることなく、より具体的な行動につなげています。無農薬で美味しい野菜を育ててくれている農家の供給先を確保するために、「NARISAWA」のテイクアウト商品専用の厨房を準備し、生産体制を構築。まるでレストランで食べているかのようなクオリティの「お取り寄せ」を次々に開発し、大きな話題となりました。‘21年2月には「おにぎりプロジェクト」(#onigiriforlove)をスタート。日本各地の酒蔵を訪れ、地元の飲食業者や蔵人と共にその土地の食材を使ったおにぎりを握り、医療従事者に届けています。「僕だけじゃない。世界中のシェフたちも、今できることをそれぞれの役割、場所でやっているんです。それは素敵だなと思いますよ。」昨今、料理人の社会的な役割が大きくなってきていますが、まさに成澤氏は現代におけるトップランナーの一人といえるでしょう。
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