Model case 22

『ホタテの概念が変わった』三陸・岩手から、世界に向けたブランド戦略。

ホタテが持つ価値を「極大化」。
『泳ぐホタテ』を世界へ。

岩手県釜石市 有限会社ヤマキイチ商店 専務取締役/君ヶ洞 剛一

岩手県の南東部、海の幸が豊かな三陸海岸の中心に位置する釜石市は、近代製鉄業発祥の地としてよく知られています。また、1979年から1985年まで日本ラグビーフットボール選手権7連覇を達成した新日鐵釜石ラグビー部の存在により、ラグビーの街としても全国的な知名度を誇っています。 そんな「魚」と「鉄」と「ラグビー」の街である釜石市に根差し、市場で最高値と言われる『泳ぐホタテ』を送り出しているのが、1989年に創業したヤマキイチ商店。創業者の想いを受け継ぎ、『泳ぐホタテ』を三陸の新たなブランドへと成長させてきた専務取締役の君ヶ洞剛一さんが目指すのは、「三陸岩手のホタテの価値を世界へ伝える」ことです。

Chapter 01

市場価値を根本から覆した「泳ぐホタテ」の誕生。

 ヤマキイチ商店の始まりは、創業者・社長である父の幸輝さんが行ったワカメの販売でした。その後、とあるきっけからホタテを扱うことになりましたが、これが実はホタテとの運命の出会い、大きな転換点になったのです。
 当時、ホタテの市場調査を行った父の幸輝さんは強く感じました。「いつも自分が浜で見るホタテは元気に泳いでいるのに、出荷されたホタテは鮮度が落ちて弱っている」と。そして地元・釜石のホタテを元気なままお客様の元に届けることが出来たら、きっと喜んでもらえるはずだと考え、配送方法を始めとした多くのチャレンジを重ねていくことになります。2年にわたる試行錯誤の結果、日本全国に100%の確率で活きたまま・泳いだままのホタテを届けることについに成功。その瞬間、『泳ぐホタテ』が誕生しました。成功の秘訣は“ホタテの気持ちになって考えること”。人間と同じようにホタテに愛情を注いで接していたら、ホタテが成功に導いてくれたのです。
 君ヶ洞さんは語ります。「父は創業者として、物事をゼロからイチにする力を持っている人だと思います。誰にでもできることはしなくていいと昔から言っていましたね」。
 『泳ぐホタテ』は、従来のホタテの市場価値を根本から覆しました。全国の市場では最高値で取引されるようになり、購入したお客様からは「ホタテの概念が変わった」「こんなホタテは見たことがない」という言葉までいただくほど。その特長は大きさ(11センチ~15センチ、1万分の1の確率で幻のホテルと呼ばれる15センチ以上のものまで)、歩留まり(貝全体の重さに対する貝柱の割合)、鮮度の良さ(専用のいけすで徹底管理し、独自に構築した配送方法)の3つを備えていることです。特に幻のホタテは獲れた時がお客様にご案内できる時で、いつでも出荷できるわけではなく、3ヶ月以上待っているお客様も多数いらっしゃるとか。
 その食材としてのレベルの高さは、料理のプロフェッショナルからの評価でも実証済。フランス本国でミシュラン3つ星を獲得し続けるフランス料理の名店や老舗の有名中華レストランのメイン料理に『泳ぐホタテ』が使用されています。君ヶ洞さんは海外とのビジネスも視野に入れ、父から受け継ぎ、活きたまま『泳ぐホタテ』を海外に輸送するチャレンジにも成功(この時は社長が珍しく褒めてくれたそうです)。数年前からバンコクの飲食店や香港のホテルへの出荷も始めました。今後は海外通販(BtoC)の可能性も検討していくつもりです。

Chapter 02

ゆっくり、丁寧に、価値を伝えていく。

 ヤマキイチ商店が大切にしているものは、『泳ぐホタテ』というブランド価値に対する約束・信頼。「私の役割は後継者として想いを受け継ぎながら、三陸・岩手のホタテというブランド価値を高め、広めていくための新しい仕組みづくりに踏み出すことだと思っています」。それは、かつて百貨店で働いた時の経験から、ブランド認知・拡大、販売促進戦略、仕入交渉、そしてお客様へ自分たちの言葉でしっかりと価値を伝えることの大切さを学んだこととも関係しているのです。
 『泳ぐホタテ』は生産者である漁師さんと小売業者であるヤマキイチ商店が対等の関係となり、お互いに切磋琢磨し合うことで生まれるものであり、そこに一切の妥協はありません。ホタテを選別する際の目利きについて「手に持った時のバランスで貝柱の大きさが分かります。元気なホタテは面構えも違います」と答える君ヶ洞さんは、自ら浜に足を運ぶことで漁師さんと信頼関係を結び、自分の目で見て確かめたホタテだけを厳選して仕入れます。「水揚げした瞬間から勝負は始まっているんですよね」。
 『泳ぐホタテ』の魅力を伝える取り組みの一環として、君ヶ洞さんは自らWEBサイトを作成して動画を埋め込んだり、ブログやSNSでの情報発信なども行っています。しかし、ここで君ヶ洞さんが改めて感じたことがあったのです。それは、「価値を伝えるには時間がかかる」、ということ。良いものはゆっくり、しっかり育っていく。近道はない。―そのこともまたホタテから学んでいると言います。
 例えばSNSなどの影響で短期的に売上が急増しても、それが良いことだとは限りません。ヤマキイチ商店の強い基盤となっているものは、約5万人にもなる個人のお客様です。
 「うちには良いお客様がたくさんいてくれて、幸せだなと常々感じています。1人のお客様が『泳ぐホタテ』に出会い、それを他の方にも紹介してくださる。そんな風にゆっくり、少しずつお客様が増えていくことが理想です」。

Chapter 03

三陸・岩手のホタテというブランドを確立し、次世代へつなぐ。

 2011年の東日本大震災ではヤマキイチ商店も大きな被害を受けましたが、ポジティブな気持ちと世界中からの支援で乗り越えてきました。2022年にはかねてから構想していたお客様の憩いの場としての店舗「与助」をオープン。店内中央に特注の水槽(中では泳ぐホタテが泳いでいる!)が置かれ、壁一面にはヤマキイチ商店の“宝物”である、お客様からのお手紙が飾られています。新鮮な魚介類の販売や食事を通して、父である社長が創業時からエンターテイナーとしてお客様に喜んでもらう取り組みをしていたことを守りながら、お客様とのコミュニケーションを楽しんでいくための様々な活用方法を計画しているところです。ちなみに、ホタテを輸送するための箱には、社長が20年以上前に考案した「私は、三陸のきれいな栄養たっぷりの海で育ったふくふくホタテです。岩手県釜石市から泳いで来たかったけど、車で来ました。よろしくね!!」というコピーが今でも印字されています。
 「ホタテ屋は自分の天職であり、使命」と、気負わず自然体で話す君ヶ洞さんが思い描くのは、ホタテを通じた世界での友達作りです。ヨーロッパでは、世界に誇るブランドをファミリービジネスとして運営している企業も多く、「もしそういった自分の知らない世界の人たちと交流することができれば、理念や継承していく仕組みづくりなどをぜひ学びたい」とのこと。将来は世界の人がスイスにチーズを食べに行くのと同じように、多くの人が三陸のホタテを食べに日本に来てくれるようなブランド価値を築き上げていくつもりです。それは他社との競争ではなく、三陸のホタテの価値を追求し、高め続けていくような、「大切なお客様に向けたオーダーメイド的ものづくり」とも言えるでしょう。
 一方で、これもまた創業者から受け継がれているのが「利他の精神」。常にお客様のために何ができるかを考え続けること。生産者である漁師さんが育ててくれた最高のホタテに見合う対価に責任を持つこと。一次産業が誇りを持って仕事に打ち込み、お客様には最高の商品で喜んでいただくという循環を地域全体で共創できれば、『泳ぐホタテ』というブランドとその価値は、きっと次世代へ受け継がれていくはずです。
 「ヤマキイチ商店だからこそ、出来ることを突き詰めていく」という君ヶ洞さんの強い決意―その先にこそ、三陸・岩手のホタテが日本を代表するブランドとして成長する姿があるのかも知れません。

JR釜石駅を降り立ってすぐ目に入ってくるのは、正面にある製鉄所からゆったりと立ち昇る白い煙。取材当日は運よく晴天で、青い空と白い煙のコントラストがとても印象的でした。ヤマキイチ商店は、駅から美しい三陸海岸沿いの道を車で10分ほど行ったところにあります。
地元である釜石、そして三陸の海とホタテへの愛情たっぷりに話す君ヶ洞さんの表情は、爽やかそのもの。自ら天職と語る“ホタテ屋”の仕事を本気で楽しんでいる様子を感じることができました。三陸の『泳ぐホタテ』はこれからもきっと、世界中へ元気なまま届けられていくことでしょう!
文・三浦 孝宏

【ヤマキイチ商店公式サイト: https://www.yamakiichi.com/】

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