世界中のほとんどの文化圏で、春と秋には作物の植え付けや収穫を祝い、いただいたものに感謝するために、何らかのお祝いが行われています。もちろん、日本も同じです。日本の春と秋に行われる伝統的な大きなお祭りのほとんどは、もともと私たちが生きていくために必要な「ローカル」のものを与えてくれる神々に感謝するためのものでした。私の住む滋賀県日野町でも、850年以上の歴史を持つ5月の大祭は、農作物や生活に必要な水や、燃料や家、道具を作るための材木を与えてくれる地元の山の神に感謝する行事です。
しかし、現在では、ほとんどの人が祭りの理由を忘れてしまっています。山に神様がいることは知っていても、その山から材料をとってきて家を建てたり、道具を作ったりすることは、今ではほとんどないでしょう。日野の水も地元の山の沢からではなく、20キロ以上離れた琵琶湖の中央浄水場から汲み上げます。食べ物もそうです。
近江日野牛を飼育する岡崎牧場は、近年、常に日本一の牛肉としてランキングされている和牛を生産しています。日野の小麦農家「大地堂」は、日本で初めて栽培に成功したディンケル小麦を栽培し、今は全国でこだわりのパン屋さんで愛用されています。そして500年以上前に記録され、地元の根菜、日野菜が今も日野で大量に栽培されています。さらには米、麦、大豆、トマト、イチゴなど、日本の多くの地方と同様、日野の農産物が豊富です。
しかし、私たちが毎日食べているものの中で、地場産のものは実は少ないです。スーパーマーケットやレストランでは、地元産の食材を提供するために最善を尽くしているが、日本や世界各地の食材で溢れており、それらは多くの場合、地元産と同等の品質であり、地元産よりも安価なのも多いです。
地域資源や地域経済の再整理を考えるべき理由はもちろんたくさんあります。しかし同時に、それぞれの地域が自給自足の独立した統一体になれると考えるのは非現実的です。収穫祭で地元の作物に感謝するように、昔は何でも地元で生産されていたと想像しがちだが、それはもちろん非現実的でロマンティックなイメージ。古代においてさえ、生産できないものも多く、「地元」の領域を超えて調達されていました。
では、私たち現代人も、農産物や材料の一部を遠くから調達しなければならないとしたら、持続可能で責任ある方法でそれを達成するために、その歴史から学べることはできるでしょうか。
ここ日野では、17世紀には早くも近江商人が日本全国に需給のネットワークを構築していたことが有名です。明治に入り、西洋の資本主義経済が近代的な日本に適合するようになると、近江商人のビジネスモデルは時代遅れになり、ほとんど否定されました。しかし今、西洋の資本主義に亀裂が入り始め、世界中の人々が代替システムを求めています。近江商人の具体的なビジネスモデルと、ビジネスに対する哲学や考え方がヒントを与えてくれるかもしれないです。
その一つに、近年、近江商人のビジネススタイルをベースにした日本独自のCSRとして、「三方よし」の理念が注目されています。「三方よし」の精神は責任ある企業活動を行うための有効なキャッチフレーズであることは事実です。しかし実は三方よしという言葉は20世紀の発明なのです。その起源は諸説あるが、モラロジー学派の「三方よし」、つまり自分も相手も第三者も大切にしていく、という理念からきている可能性が高い。近江商人という点では、実はこの表現は歴史的な根拠がなく、今から40数年前の1980年代に、近江商人の経営哲学を表すために後から適用されたものです。しかし、近年、三方よしという言葉が多用されるようになったことで、近江商人が実際にどのように商売をしていたのか、どこに新しいモデルを構築するための具体的なアイデアがあるのかがわかりにくくなった面もあるのではないでしょうか。
1600年代初頭、日野商人は地元で生産された漆椀を中山道で北関東に運び、群馬や栃木などの農家に販売したのが始まりです。やがて、日野では椀を作るための木材が足りなくなったため、鳥取県と交易路を作り、鳥取から海路・陸路で椀を調達し、日野の木地師や漆職人が椀に仕上げ、日野商人が北関東へ運んで販売するようになりました。本州の半分に広がる経済網でした。
北関東での商売が拡大するにつれ、商人たちは地元の顧客である農家が育てた米や麦を使って、酒や醤油を作るようになりました。北関東の酒蔵や商店で働く経営者や従業員のほとんどが日野地区の出身者であったが、彼らが造る酒や醤油は地元で調達した農産物から作られ、地元のお客さんに販売されていたのでした。まさに今という「グローカル」制度とも言えます。
そのグローカル制度を成立させるために、商人たちは2つの重要な原則に導かれていました。ひとつは仏教の倫理観で、特に浄土宗では、日常生活の中で真摯に実践することが悟りに至る道であるとしました。もうひとつは、地元から遠く離れた他所の地で行う商売は、その地域社会の好意によって成り立っているという、商人の現実的な認識でした。つまり善意と自己防衛の2つです。
そこで「三方よし」と「CSR」の違いが明確に見えてきます。CSRは、企業が倫理的視点から事業活動を通じて自主的に社会に貢献する責任のことに対して、「三方よし」というのは、善意と自己防衛の二つの心意気をもって、「グローカル」な経済網を成立し、網に関わる人や地域や資源を、現代のためにも、次世代のためにも、大切にするのが本来の意味になります。
近江商人がどのように商売を行い、健全な地域経済を形成していったか、いくつかの事例があります。その多くは、現代の私たちのシステムと表面的には類似しています。三方よしとCSR。出世払いと学生ローン。経済と「economics」の概念そのものも。しかし類似しているとは言え、よく見てみると、実は全く異なる概念に基づいていることも多いのです。
次なるシステムを構築するために、歴史から学べることは多いでしょう。しかし、現代のシステムに江戸時代のレッテルを貼る前に、類似点だけではなく、相違点も探ることで、現代のローカルフードシステムやローカルエコノミーの課題に対するヒントが明治以前の日本に見つかるかもしれません。