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グリーンジョブとしての料理人の役割の変化と日本の職業教育の役割
国連では温室効果ガスの最大37%が、グローバル・フードシステム由来の排出に起因すると位置づけました。フードシステムの恩恵を享受している全ての人たちが地球の温暖化に関わっており、環境に「無関心」であった消費行動を見直し、十全的な知見をもって日常を改める必要があります。欧州は、ポスト・コロナの経済戦略にグリーン・リカバリーを掲げ「Farm to Fork(農場から⾷卓まで)戦略」を策定しました。日本も農林水産省が環境政策を打ち出しています。
そして、そこで重要になってくるのが消費者教育です。プロダクトアウトの経済戦略であることに変わらないものの、需要を生みだすことがカギとなります。環境への配慮を意識した消費行動へと変容させるために、欧州では初等教育から環境教育の義務化が進み、日本でも環境教育への取り組みが活発化してくるでしょう。消費者の十全的な視点の獲得によって「無関心」からの脱却を促すのです。しかし、義務や責任感を促したとしても限界があります。環境意識に紐づく付加価値が価格や品質を上回る必要があります。環境配慮した消費行動をステータスと紐づけることでゲームチェンジが生じている自動車産業のように、フードシステムでも消費行動自体を豊かさの享受へと紐づけることが出来るかどうかが、今後の鍵となります。例えば、持続可能なフードシステムのゴールを地域分散社会や地域循環共生社会と置いた場合、地域の食材や有機食材などを食べなければいけないのではなく、地域の豊かな食文化産業を創りだすビジョンとしてゴールに置くことで持続可能で豊かなフードシステムへ移行する高い推進力を得られるのです。
そこで、欧米では料理人の役割に注目が集まっています。料理人はフードシステム上の付加価値をつくるプロデューサーであり、そしてインフルエンサーです。その彼らが、十全的な視点を持ち社会ビジョンを掲げることが珍しくなくなりました。料理人たちのレストラン評価を行っているミシュランガイドが「グリーンクローバー」という新しい評価軸を打ち出しました。サステイナビリティの実践、環境保護に取り組んでいるレストランに与えられる称号です。さらに、このような担い手は「グリーンジョブ」と定義づけられ、その創出が、各国の政策に反映されるようになりました。グリーンジョブは環境産業に従事している人と捉えがちですが、国際労働機関は「ディーセント・ワーク(働きがいある、人らしい仕事)」とも定義づけています。つまり、若い次世代を担う人たちに担って頂きたい産業分野、憧れる職業にする必要があるのです。医療や福祉分野に進む若者たちに共通した就労動機があるように、これからは共通したキャリアアンカーをもった世界中の若者たちがグリーン産業の担い手となるでしょう。
私は、世界中の次世代の若者から日本が尊敬される国に、憧れる国になるためには、つまりクールジャパンの活動の中心にグリーン産業化、グリーンジョブの創出を置く必要があると考えます。そして、そのビジョンはユネスコに登録された無形文化遺産<「自然の尊重」という精神に則ってできた「和食」>の世界観が最も近いのではないかと考えています。
今、私たち職業教育機関のすべきことは沢山あります。グリーン産業化の担い手育成として、技術だけでなく職業倫理に取り組まなければいけません。その醸成のために、職業教育機関は初等教育から始まる環境教育へ連なる必要があります。そして、<「自然の尊重」という精神に則ってできた「和食」>の教育です。「和食」は保護するのではなく、精神性や世界観、ビジョンを掲げて教育に取り組むことです。これが実現できれば、日本は世界から「クール」と魅了され続けることができるでしょう。
『SUSHI×TECHNOLOGY』で、世界に。金沢から食文化の未来を拓く
世界で進展するフードデザイン思考
オランダの夕飯の食卓に並ぶのは、ベーシックかつローカルな食材と、エキゾチックな香辛料を使った異国料理がまぜこぜになった献立です。これらの香辛料は、16世紀にオランダに入ってきて以来、オランダの食文化の一部となりました。また、地理的条件や貿易立国としての立場上、世界中の異なる文化圏から多くの人を迎え入れてきたオランダには、同時に新たな食文化がもたらされました。オランダ人はもともと、食に対して非常に実利主義的な姿勢をとってきました。食べ物には栄養が第一で、その形や見栄えにはあまりこだわってこなかったのです。オランダの農業は、単位面積当たりの収穫量が欧州で最も高く効率的で、昔ながらの手作業の農作と科学の融合により、質の高い農産物を生産しています。また、国土の4分の1が海面下にあり、経済的・文化的・政治的に要となる地域が堤防によって守られていることから、オランダ人は地球温暖化の影響にとても敏感です。
オランダの食文化のこれらの特徴が、なんでも自由に議論でき、新しい試みにおいても決して伝統にとらわれることなく、そして目新しい料理よりも、現代人の食生活が及ぼす影響のような、社会全体の課題が重視される環境を生み出しました。
こうした土壌があるなかで、アイントホーフェン・デザインアカデミーにてオランダのフードデザインが誕生しました。この分野の先駆者となったのが、マライエ・フォーゲルサングという女性デザイナーです。社会的な課題にもふれながら、食体験をデザインし、食を通じて新たな感覚を創り出すことに焦点を置くマライエは、自らをフードデザイナーではなく「イーティングデザイナー(eating designer)」 と呼びます。マライエが2014年にアイントホーフェン・デザインアカデミーで立ち上げた「フード・ノン・フード学科」は、8年間にわたって食分野のデザイナーを育成しました。「2050年に私たちは何を食べているか?」「私たちの食文化が地球に及ぼす影響は何か?それをどう変えられるか?」など、デザイナーたちは今、食に関するもっと大きな課題を見据えています。実験や新たな挑戦に対する熱意は、食や自然、バイオテクノロジー、科学を専門とする、アムステルダムの芸術センターであるMediamatic(メディアマティック)の活動、およびNext Nature Networkの食関連のプロジェクトからも感じとることができます。
さらに、先進国であるオランダは、地方の過疎化や高齢化社会、都市圏一極集中という、日本と同じ課題に直面しています。住む場所として、または、少なくとも観光地としての地方の魅力を高めるには、何が必要か?その答えのひとつとなるのが、美食です。地場産の食材や改めて注目されている伝統野菜、サステナブルなメニュー、世界一流の料理人による魅力的なプレゼンテーション(都市別のミシュラン獲得店数ランキングで、オランダは世界8位)を取り入れることで、人々を引きつけることができます。
日本が築いた世界有数の豊かな食文化は、オランダには存在しません。しかし、食に対する現実的な姿勢、食が及ぼす社会的影響に対する意識の高さ、そして欧州におけるポジションを考えると、オランダは食分野の中でも、とりわけ「イーティングデザイン」の分野において、日本の優れたパートナーであると言えます。
自然を敬い、海とともに生きる。 ―KESENNUMA PRIDE― ー気仙沼
手を伸ばせば、そこに海がある。魚がいる。持続可能な発展と魅力が凝縮した、日本で一番海に近い町ー伊根町
新しい価値、「瀬戸内テロワール」の創造
自然と共生する日本の精神性と、食文化を通じた地球社会の未来への期待
伊勢神宮(以下神宮と表記)の恒例祭は年間1,500回にも及ぶが、神嘗祭を中心とする稲作文化を象徴したお祭りといわれている。この恒例祭に対して、20年に一度斎行される神宮式年遷宮は最大の厳儀とも称される。伊勢は、『万葉集』などに代表される古典の枕詞をかりれば「神風の伊勢」である。「かむかぜ」と読ませるこの語彙は、穏やかな気候風土にして、五穀豊穣に必要な適度な雨をもたらす優しい風を連想する、伊勢にぴったりの言葉だと思う。また『日本書紀』の垂仁天皇の御代に天照大御神はやまと倭ひめの姫みこと命に「この神風の伊勢の国は、遠く常世から波が幾重にも寄せては帰る国である」と仰せられたことから、太陽にも喩えられる天照大御神の御神徳を想起し、光、風、波が伊勢の自然を育む、自然と共生する神都伊勢のまちをイメージする、と私は勝手に考えている。
人間が社会生活を営む上で必要不可欠なものは、「衣食住」の三つである。1,300年の伝統を有する神宮式年遷宮もこの三要素が不可分であることは言うまでもないが、今回はその中の食に焦点を当て、神宮の食、つまり神饌として神々に供奉されてきた悠久2,000年の歴史を振り返りたい。
今日、地球環境への配慮が国際的に叫ばれ、温室効果ガスの拡散や食物の食べ残しの廃棄処理などの問題が報道で度々取り上げられるのを見聞するが、神宮の食文化が地球社会の未来への指標として一隅を照らすのではないかという点を同時に示唆したい。
延暦23年(804)に撰述された『皇太神宮儀式帳』には、6月15日の月次祭に際し志摩国神戸の百姓たちが奉るあわび鰒、さざえ栄螺などのみに御贄が記され、延長5年(927)成立の『延喜式』巻四「伊勢大神宮式」によれば、月次祭、神嘗祭の三節祭に腊、金海鼠、古固魚、海藻、塩、油が供進されていた。中世になると、神宮の神領について著した『神鳳鈔』に「二所太神宮御領諸国神戸・御厨・御薗・神田・名田等」とあり、伊勢国14郡をはじめ、日本60余国中、実に40カ国、1,350ヶ所に及ぶ両宮の各種所領から様々な御物が奉納されてきたことが分かる。
律令制度弛緩以後も国々所々から貢物は奉られた。明治維新頃までの三節祭には、桧籠と呼ばれる籠の中に魚の切り身や野鳥、水鳥を入れて、五十鈴川で洗ってから神様のもとにお供えされていた。お供えの仕方も、楉案(椎の細枝を何本も列べて藤蔓で編んだ机)の上に御綱柏(三角柏・アカメカシワともいう)の葉を敷き詰めて、その上に海の幸、山の幸を盛ってお供えしていた時代もあった。
明治4年(1871)の神宮改革により組織改変が行われてからは全国の領地は全廃され、原則として神宮自ら御物を賄う自給自足の制度へと改められた。現行の神嘗祭で皇大神宮(内宮)と荒祭宮に奉奠される由貴大御饌の神饌は、飯・餅・玉貫鰒・身取鰒・乾鯛・鰒・蝦(伊勢海老)・鯛(生の切身)・乾梭魚・乾伎須・乾栄螺・海参・乾鰹・鯉・乾鮫・乾鯥・乾香魚・野鳥・水鳥・海松・紫海苔・蓮根・大根・梨・柿の25品で、それに白酒・黒酒・醴酒・清酒、塩、水が加わる。由貴とは、「神聖な貢ぎ物」を意味する。
神宮では、『祭祀集覧』に「朝夕供進の御饌(神饌のお供え)は黒米の蒸飯、二見浦の堅塩、天忍井の御水、是の三種なり」と記されているように、生命の源である米・塩・水は太古から大御神の大切なお供えとされてきた。とりわけ二見浦の御塩は、お祭りの際、お供えとして捧げられるだけでなく、お清めの塩としても使用されてきた。この二見浦から御塩を供進したことは、第11代垂仁天皇の御代、皇大神宮(内宮)御鎮座当時に始まったと伝えられている。
倭姫命が天照大御神を奉じて諸国を巡られ、北伊勢から南にお進みになり、鷲取の小浜から二見の浜に出られた時に、土地の神、佐見都日女がお迎えして、堅塩を奉ったところ、命はこれを愛でられ、その地に堅田の社を定められた。この社が二見町江に御鎮座の皇大神宮摂社堅田神社で、二見から大御神の御塩を奉る起源となっている。次いで、倭姫命に従われた乙若子命が、御塩作りには不可欠の御塩浜と御塩山を定められたといわれる。
神宮の御塩は、古くは御塩山の木を伐り、御塩浜の海潮を汲んで御塩焼所に運び、荒塩に焼いて、さらに御塩殿において堅塩に固められる。御塩作りは、「御塩焼物忌」が外宮・内宮におかれ、忌み籠もって奉製にあたったことが既に平安初期の『皇太神宮儀式帳』『止由気宮儀式帳』に記されている。
鎌倉時代までは御塩殿造進料田というものがあり、御塩焼物忌たちが、その田の租によって御塩を調進してきたが、鎌倉時代末期になると御塩焼物忌が関係しなくなり、新たに御塩所司職という神役人がおかれた。因みに、永仁3年(1295)の『伊勢新名所絵歌合』下巻には当時の二見浦での御塩作りの様子が見事に描写されている。
近世から近代に至っても幾多の困難は生じたが、二見より御塩は堅塩として調進され続け、今日に至っている。
以上紹介してきた神宮の神饌について、幾度の変遷はあるものの、神職の浄明正直の精神性と祭祀奉仕の心得は古来不変と申し上げても過言ではなく、昔と変わらず今も神々に深い祈りが捧げられている。そして神々にお供えされた神饌は余すことなくご奉仕に携わった者に頒賜されるのである。
今日エネルギー資源の浪費や産業廃棄物の拡大により地球環境の温暖化と自然破壊が国際的に問題視されている。それと反比例して、生活習慣において食文化は随分と効率化がはかられるようになってきた。素材の下処理も味付けも一切せず、レンジで加熱するだけで美味しくいただける冷凍食品が今やスーパーの店頭に並ぶ。核家族や共働きが当たり前のようになった時代において、調理の手間が省けることは、扶養の子供をたくさん抱えた家庭や要介護の家庭には画期的な食の革命といえる。
しかし「いただきます」の精神、いのちをいただく感謝の心、本居宣長の『玉鉾百首』にある「たなつものももの木草も天照らす日の大神のめぐみ得てこそ」「朝よひに物喰ふごとに豊宇気の神のめぐみを思へ世の人」の神道の精神を象徴する食前・食後に唱える和歌を知っている人はどれだけいるのであろうか。海川山野の種々の食材、自然の恵みに感謝する心を日本人は失っていないか、今日の食生活を危惧する点は多々ある。
神宮の神饌の例として先に神嘗祭の皇大神宮と荒祭宮奉奠の品々を紹介したが、実に干物が多いことにお気づきのことだろう。保存食としても重宝される乾魚は天日干しにすることで旨味成分が凝縮され栄養価も増すといわれる。なお神宮では、蝦や牡蠣、烏賊など蒸した神饌も神前に奉奠される。中世までの社会においては、「煮る」という調理法が無かった時代であり、焼くか蒸すかの調理において、食材の旨味を上手に引き出すために、蒸してお供えする方が神様に美味しく召し上がっていただけると古代人は考えたのだろうか。現行祭祀においても、一部古くからの神饌調理が守り伝えられているのである。
繰り返しになるが、古来神社に奉仕する神職は、自然の恵みである海の幸・山の幸をまず神々にお供えして、そのお下がりを食すという、感謝の心を捧げてきた。郷里滋賀で過ごした少年時代の記憶を辿ると、毎朝神棚と仏壇に炊きたての飯を祖母か母のどちらかがお供えしていたことを思い出した。古くはご先祖様への日供を欠かさない家庭は多かったと思うが、今はどうであろうか。日本人の伝統的な食文化の美徳、大切なものが完全に見失われてしまう前に未来への指針として、ここに神宮の神饌の歴史を紹介し、擱筆とする。
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UNWTOが推進するガストロノミー・ツーリズムの未来
UNWTOの調査によると、近年は観光名所を訪問することと同じくらい、訪問先で郷土料理を楽しむことを通じて、地域のライフスタイル・文化を味わい、体験することを重視する観光客が増加しています。これらの観光客は、本物志向が強く、平均以上に消費するという傾向があります。
ガストロノミーツーリズムとは、「その土地の気候風土が生んだ食材・習慣・伝統・歴史などによって育まれた食を楽しみ、その土地の食文化に触れることを目的としたツーリズム」と定義されています。
アフターコロナを見据え、オーバーツーリズムなどのコロナ禍前の観光課題への反省から、SDGsへの取組がより重要となり、経済のみならず社会・文化、環境面も重視した「持続可能な観光」への関心が徐々に高まっています。ガストロノミーツーリズムは、地域の自然環境や農業、文化との関係が深く、誰もが参画することができ人々の健康や幸福にも貢献するといった特長を有し、持続可能な観光を達成できる有効な手段になります。
また、「食」は地域に由来する歴史的・文化的背景が育んだものが多く、地域の特色を出しやすいコンテンツであり、旅の大きな楽しみでもあります。観光庁の調査においても、訪日外国人が期待することの1位が「日本食を食べること」、6位が「日本の酒を飲むこと」となっています。
以上のことから、ガストロノミーツーリズムは、地域振興の手段として地方自治体も積極的に取組を行っています。
UNWTOは、ガストロノミーツーリズムが重視される理由として、①地域の差別化がしやすい、②訪問者に新たな価値観・体験を与えられる、③観光資源が乏しい地域でも始められる、④ストーリーを語りやすい、⑤再訪意識を促進するという点を挙げています。
ガストロノミーツーリズムに関するUNWTOの取組として、次の3点御紹介したいと思います。
1点目がUNWTOは、日本のガストロノミーツーリズムの優良事例として18のケースに焦点を当てた“Gastronomy Tourism – The Case of Japan”を2019年に発表しています。この調査では、基礎自治体1,741団体(回収数584)へのアンケート調査により、日本ではガストロノミーツーリズムに関する試みは、観光振興よりも、「持続可能な地域づくり」や「農業との連携」という観点から、総合的に取り組まれていること、また、官民連携についても、海外よりも積極的に取り組まれていることが明らかになっています。
2点目として、UNWTOは地域がガストロノミーツーリズムに取り組むに際し、指針となるよう、「ガストロノミーツーリズム発展のためのガイドライン」を2019年に公表しています。政府や地方自治体、DMO等の関係者に対して、地域におけるガストロノミーツーリズムの発展に向けて、企画・運営面において考慮すべき事項や取るべき行動や推奨事項について示した実践的なガイドラインとなっています。
最後に、UNWTOでは、「ガストロノミーツーリズム世界フォーラム」という国際会議を世界各国で開催しています。2022年にはいよいよ奈良県において開催されることが決定しました。
本世界フォーラム開催を契機として、奈良県、関西、ひいては日本のガストロノミーツーリズムの多様性、先進性が世界に発信されるとともに、生産者、事業者、地域の人々をつなぎ、人々の心身の健康・幸福感を促進し、持続可能な社会の実現を目指すことを期待します。